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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2014年1月31日金曜日

PG23 綴り方競争

バーオークからウォルナットグローブに戻ると、インガルスは町の人々からあたたかく迎えられ、知人宅に間借りして落ち着きました。


とうさんは町に土地を借りて肉屋さんを始めました。とうさんと商売の組み合わせはあまりピンときませんが、けっこう繁盛したようです。各家庭で屠殺しても、春や夏には肉の保存ができません。冷蔵庫がなかったとき、近隣が協力し合って、順番に屠殺して肉を分け合うこともあったそうですが、ウォルナットグローブではなかったようです。冬になって屠殺の時季がくる前に肉屋さんはたたんだようです


ローラはウォルナットグローブのような新しい町が好きで、とりわけ楽しみだったのが、金曜日の夜の綴り方競争。「この楽しき日々」にはデ・スメットで行なわれた綴り方競争が描かれていますが、ウォルナットグローブでも同じような催し物があったようです。あるいはウォルナットグローブの綴り方競争を「この楽しき日々」に描いたのかもしれません。離婚が悲しいものだと知ったのも、このころでした。


町の文芸会はとても楽しかったようで、「小さな家」の出版以前にワイルダーは文芸会の思い出をエッセイにつづっています。

2014年1月30日木曜日

PG22 夜逃げ

経済的なこともあり、インガルスはバーオークから引っ越したかったのですが、家賃の支払いで大家さんの合意を得られないとわかると、なんととうさんは夜逃げを決行しました。ローラが真夜中に起こされると、荷物はすっかり馬車に運び込まれていて、真っ暗闇にまぎれてインガルスはバーオークを後にしたのです。


「パイオニアガール」でとうさんは、大家さんを「老いぼれの成り金ドケチ」と呼んでいました。こんな言葉遣いをするとうさんは、出版作品からは考えられません。つかおうとしても、かあさんがさえぎるでしょう。「パイオニアガール」の注釈を担当するパメラ・スミス・ヒル氏は、「出版作品のチャールズ・インガルスは、実在よりもロマンチックでより大きな人物に描かれている」と述べています。


でも、好きだな、そんなこと言うとうさんも、夜逃げするとうさんも。


2014年1月29日水曜日

PG21 体罰

日本でも教師による体罰が問題になっているようですが、ひと昔、教師による体罰はごく当たり前に行われていました。「小さな家」ではネリーの弟のウィリーが学校で鞭の罰を受けていました。「パイオニアガール」にも、教師による体罰が描かれています。
農閑期に学校へやってくる男たちは、トラブルを起こしにやって来るだけで、教師も手を焼いていたました。ローラとメアリーに詩の暗証を教えてくれたリード先生は当時、十六歳。頑強な男たちよりも小柄で年下でしたが、先生の方がいちまい上手だったようです。
ある日、先生はトラブルを起こす男の隙をついて、彼を自分の膝に腹ばいにさせ、クラス全員の前でお尻をペンペンしました。もうみんな、お腹を抱えて大笑い。噂は村中に広まり、その男も仲間たちも、もう学校へ来なくなりました。


アメリカの「農場の少年」の書評を読むと、「体罰の記述があるので気をつけるように」、「子どもにふさわしくない箇所がある」と書かれています。「農場の少年」には、トラブルを起こす男を教師が鞭を使って学校から追い出す話があるからです。
その教師は、友人の仇をうつためにその学校へやってきた、と聞いたことがあります。本当の話かどうかわかりませんが、友人は生徒に大ケガをさせられたか、そのケガがもとで亡くなったかしたそうです。


2014年1月28日火曜日

PG20 バーオーク

バッタの被害のために、インガルスはウォルナットグローブを去り、ミネソタに居るピーターおじさんの農場でしばらく過ごしてから、アイオワのバーオークへ移住しました。


「パイオニアガール」に書かれているバーオークの話が、出版作品にないのは、西へ西へと進む「小さな家」のテーマに合わないからとか、弟のフレディがピーターおじさんの家で亡くなって悲しい想い出がつきまとっていたからとか、いろいろと言われていますが、ある研究者は、「ローズは東に後戻りするのを、負け組だと考えていたからだ」と指摘しています。


でも、負け組だろうが勝ち組だろうが、ローラにはそんなことに関係なかったみたいです。ローラは東に戻るとうさんの気持ちをわかっていたし、フレディの死にもさらりと触れているけれど、馬車に乗って旅するのに、ものすごくはしゃいでいて、ホントに馬車に揺られて旅をするのが好きだったんだな~・・・・「パイオニアガール」を読むと、そんな思いが伝わってきます。


原作でインガルスはプラムクリークの土地で暮らしていますが、その土地は、無料で手に入るというホームステッド法に基づいて申請した開拓農地ではありません。チャールズ・インガルスはその土地を現金で払いました。
原作には書かれていませんが、彼は1875年にそこから少し北東に樹木農地を申請していて、バーオークに居たときもその農地を持っていました。一年後にバーオークからウォルナットグローブへ戻ると、彼は樹木農地を放棄して、ホームステッド法に基づいてその半分を開拓農地として申請しました。でも、開拓農地を手に入れるには、一年のうち半年をそこで過ごさなくてはなりません。いったい、インガルスはいつそこで暮らしていたのでしょう? あるいはいつそこで暮らす予定だったのでしょうね?

2014年1月27日月曜日

PG19  ネリーオルソン

ネリーオルソンは実在の三人の女の子、ネリー・オウェン、ジェネヴィーブ・マスターズ、ステラ・ギルバートを組み合わせて作り上げた架空の人物なのはよく知られています。プラムクリークのネリーのモデルになったのはネリー・オウェンです。原作ではネリーと弟のウィリーは、町のパーティと村のパーティに登場しますが、パイオニアガールにその話はありません。でも、二人ともおもちゃで遊ばせてくれないし、意地の悪さは相変わらず。だから、ローラは二人がプラムクリークへ来た時に、ザリガニやヒルを使って復讐します。


不思議なのはそんな意地悪をされているのに、ローラたちは学校帰りに二人の家によって遊んだりしているのです。なぜ一緒に遊ぶのかな~、同じ年頃の子どもたちが少なかったのかな? 私だったら遊ばないな~と思うのがフツーだと思うけど、嫌いな人ともやっていかれる能力って社会に出てから強いです。

 

今の日本だったら、ヒルをつけたりしたら、ママ友とか出てきて大変なことになりそう・・・・・。ママ友の世界って複雑そうだし、かあさん、苦労するかも。


2014年1月25日土曜日

PG18 バッタの襲来

「プラムクリークの土手で」の中に、インガルスの小麦畑が豊かに実り、「小麦が売れたら金持ちになるぞ、なんでも欲しいものが買えるようになるんだ」と収穫を心待ちにしている話があります。ローラはとうさんが新しいブーツが買えるのを楽しみにしていました。ところが、バッタの襲来に遭い、すべてを失ってしまいました。

「パイオニアガール」では、バッタの襲来によって失ったいちばん大きなものは、モノではなく、思い描いていた未来への夢や希望だったと、率直に述べられています。

今回、このくだりを読んで、東日本大震災で被害に遭われた方々と重なりました。




2014年1月22日水曜日

PG17 独立記念日1

「パイオニアガール」にはウォルナットグローブで迎えた独立記念日の様子が記されています。インガルスはバスケットにごちそうを詰めてよそ行きの服に着替え、町へピクニックへ行き、独立記念式典を見学しました。ピクニックへ行くのは初めてだったので、ローラはワクワクしていました。

その式典で歌をうたった男女は、のちに駆け落ちしたそうです。ローラとメアリを「私の村娘たち」と呼んで可愛がってくれたオルデン牧師も、妻子を捨てて駆け落ちしたとよんだことがあります。バーオークのホテルで、インガルスが働いていた時にも、男女のイザコザがあったようです。


ローラは、そういった大人の世界をあまり理解できなくても、なんとなく気づいていたようでした。大人たちが話しているのを、耳をそばだてて聞いているような、めざとい子だったようです。とうさんとかあさんのいないところで、メアリと二人でコソコソ話していたかもしれないと思うと、笑ってしまいますが、同時に子どもの生々しい成長を見る思いがします。
 

2014年1月20日月曜日

PG16 スウェーデン

「大きな森の小さな家」には、ローラとメアリーが近隣の家でクッキーをもらう話があります。二人で一枚のクッキーを半分ずつ食べて、もう一枚はキャリーに持って帰るけれども、何か公平ではないな~と思うというくだりです。クッキーをくれたピーターソン夫人はスウェーデンからの移民で、ローラたちは英語で、夫人はスウェーデン語で話すけれども、ちゃんと通じました。


プラムクリークで懇意にしていたお隣のネルソンさんもスウェーデンからの移民で、ローラは同じように話していて、お互いに理解できました。牛の乳しぼりを教えてくれたのもネルソンさんで、ローラはスウェーデン語なまりの英語をはなしていてとうさんに笑われていました。


ワイルダーが暮らしていたミズーリ州マンスフィールドはオーザクス丘陵と呼ばれ、今でも保守的な地域として知られています。ワイルダーはそこで人生の大半を過ごしました。
そのワイルダーは異質の文化背景をもつ人々に対して、柔軟性がありました。サンフランシスコを訪れたとき、ある女性たちが日本人や中国人や黒人を蔑称で呼び、「彼らのいるサンフランシスコは嫌なところだ」と話しているのを聞いて、ワイルダーは彼女たちに批判的な意見を述べていました。


保守的な土地で過ごしたワイルダーが、どこでそのような柔軟性を身につけたのか不思議でしたが、小さな家シリーズをきちんと読めば、ヒントがあるようです。そういえば、プラムクリークの牛飼いのジョニーも移民で、英語がまったくわかりませんでした。彼の昼寝のせいで、牛に干し草があらされてしまった話も、ワイルダーは温かな視線で描いています。アメリカに住んでいるのに英語もわからないのか、といったニュアンスは感じられません。移民に囲まれて育ったワイルダーは、自然にそういった柔軟性を身につけていたようです。

2014年1月18日土曜日

PG15 ゴーファー

「大草原の小さな家」ではゴーファーはローラたちの遊び相手でしたが、畑を荒らす彼らは頭の痛い存在でもありました。「パイオニアガール」によると、今の動物愛好家が知ったら、眉をひそめることもしていたようです。


人間は万物を支配するという西洋人の自然観は、旧約聖書の創世記の影響と言われています。そのせいか、アメリカ人の書いたワイルダーの伝記や記事を読んでいると、「大自然を征服する」という言葉をよく見かけます。アメリカは「明白なる神意」のもとに、大自然を破壊して成り立った国で、「小さな家」をアメリカ史ととらえていますから、今でも「大自然の征服」を肯定しているのかな、と思うことがあります。  


「小さな家」をどうとらえるかは、個人でも違うし、日本人とアメリカ人でも違うし、アメリカ人でも白人と先住民とでも違います。違って当然ですが、ワイルダー関連の文章の中で「大自然を征服する」という言葉をためらいなく使っているのにぶつかると、彼らとの間に深い溝を感じます。「この楽しき日々」の中で、ローラは野生の動物たちが自由に歩き回っている在りし日のアメリカを思い浮かべて、大自然を征服してきた在り方に疑問を感じているのに、彼らはそうは取らないのかなとも思います。


でも、溝を感じるのはお互いさまかもしれない。ワイルダー学会である有名な研究者と話していた時、「西洋人の自然観を知らなかった頃、私は小さな家を大自然と融合した生活を描いた作品だと思っていた」と言ったら、目をまん丸にしていました。



2014年1月16日木曜日

PG14 プラムクリークで

「プラムクリークの土手で」によると、クリークには大きな岩があって、ローラとメアリーの格好の遊び場になっていました。「パイオニアガール」では、二人はそこでインディアンごっこをして遊んでいたという簡単な記述があります。
でも、「プラムクリークの土手」では、その描写はありません。その話を膨らませることもできたのに、なぜ削除されたのか・・・? 作品の流れから必要ないと判断したのか、それとも、先住民に配慮したのか? どちらなのでしょう?


 「プラムクリーク」が書かれたのは一九三十年代。公民権運動よりも数十年も前です。もし配慮したのならば、ワイルダーはかなり思慮深かったと言えます。ワイルダー研究者ジョン・ミラーは、小さな家の先住民や少数派の記述について、「執筆された時代を考えるなら、ワイルダーを糾弾するのではなく、賞賛すべきだろう」と述べています。ただ、ワイルダーの中に無意識の偏見があったのは事実で、本人もそれに対して謝罪しています。


アメリカのみならず、一九六十年代の日本でも、テレビの子ども番組でインディアンごっこが放映されていたのを考えると、ミラーのそれは一理ある意見だと思います。ただ、アメリカには今でもワイルダーと同じ視点でしか小さな家シリーズを見ようとしない読者や研究者がいるのも事実です。アメリカ人にとって小さな家シリーズは、理想のアメリカに住む理想のアメリカ人を描いた作品なので、ダークな部分に触れたくないという感情が、意識的に、あるいは無意識のうちに働くのかもしれません。「パイオニアガール」にはどのような注釈がつくのでしょうか?


「パイオニアガール」をひもとくと、どこが創作か事実かがある程度わかってきます。それを知ることは必ずしも大切だとは思いません。このブログを書いていると、「小さな家」やワイルダーについてもっと深く知りたいという欲求と、「そんなこと、どうでもいいや」という気持とがせめぎ合っています。

昔は、物語のローラと作家のワイルダーは同一人物で、「小さな家」は本当の物語だと信じて疑いませんでした。素直に作品を受け止めて、ローラが好きで好きでたまらなかったその頃の方が、心豊かだったと思うこの頃です。



2014年1月15日水曜日

PG13 汽車

ドナルド・ゾカート著のワイルダー伝記には、ローラが初めて汽笛を聞いた話が紹介されています。
「パイオニアガール」にも同じ話があります。ミネソタに移住する途中、インガルスが川べりでキャンプをしていると澄んだ音が聞こえてきました。それはローラが初めて聞いた汽笛でした。ローラたちは、息をのむようにして汽車が通り過ぎるのをみつめていました。

ローラが幼いころは馬車で旅をしていましたが、それが汽車になり、やがて、自動車の時代になりました。ワイルダーは自動車を「ブリキ缶」と呼んで、アルマンゾと一緒に自動車旅行を楽しんでいたようです。そのワイルダーは晩年に飛行機にも乗っています。彼女の過ごした九十年は(1867-1957)、とうさんの言うとおり、「偉大な時」でした。


でも、ワイルダーはそんな時代に危機感をつのらせていたようです。そんな危機感は「長い冬」で、汽車が止まって灯油がなくなってしまったとき、「便利だけど人に頼り過ぎている」いうとうさんの言葉に表れているような気がします。

2014年1月13日月曜日

PG12 じいちゃんの家のダンス

「大きな森の小さな家」ではメープルシロップ作りのときに、じいちゃんの家に親戚中が集まって、ダンスをする話があります。
「パイオニアガール」では、じいちゃんの家のパーティとヒューレットさんの家のパーティの話があって、「大きな森の小さな家」のじいちゃんの家のダンスパーティーの話は、この二つのエピソードを基にして創り上げたようです。
ヒューレットさんというは、「大きな森の小さな家」でローラと木登りをしたクラレンスとエバの兄弟の家です。ローラたちが木登りをしている間、ヒューレット夫人はかあさんと一緒に、ゴーディースという婦人雑誌を読んでいました。
「大きな森の小さな家」では、とうさんが一人でダンスの演奏を担当していましたが、ほかにもバイオリンやバンジョーの演奏もあったようです。


たしか実在のクラレンスは学校の先生になったんじゃなかったかな。それに実在のワイルダーに気があったらしくて、彼女を忘れられなくて、長い間、独身だったとかなんとか。それを後になってきいたワイルダーは喜んだ、というようなことをどこかで読んだ覚えがあったような気がする・・・・・・・。でも確かではないです。ひょっとしたら、別の男性かも・・・・。間違っていたらスミマセン。m(._.)m

2014年1月12日日曜日

PG 11 親戚のおじさんとミルバンク

昔、親戚の中には、まともな職に就かないでブラブラしていたり、トラブルをおこして親戚中に迷惑をかけたりしたオジサンが一人くらいいたものだ。ローラたちの家でそれにあたるのが、大きな森でローラとダンスを踊ってくれたジョージおじさんだ。「大きな森の小さな家」で述べているように、若いうちから軍隊に入っていたのだから、ワイルドになってしまったのは仕方ないと、家族もあきらめムードだった。アメリカのファンの間でも知られていますが、彼は窃盗で逮捕されたそうな。


もうひとり、こちらはまともなおじさんだけど、ローラの好きだったのはトムおじさん。たしか「この楽しき日々」だったと思うけど、おじさんがデ・スメットに遊びにきたとき、アルマンゾが誤解して、やきもちを焼いたといういわくつきのおじさんだ。ローラたちの愛読書だった「ミルバンク」は、トムおじさんがくれたものらしい。


「プラムクリークの土手で」には、学校行きをしぶったローラが、「あたし、字が読めるもん」と、「ミルバンク」の冒頭を読んだふりをして、かあさんに読んできかせるくだりがある。
手元に「ミルバンク」があるので、ためしにその冒頭と、「プラムクリークの土手で」に載っている「ミルバンク」の冒頭を比較してみたら、ほぼ一致する。
ワイルダーは幼いころに読んだこの本の冒頭を、ホントに覚えていたのか、それともこの本を持っていて、それを作品に使ったか、さてどちらでしょう? たしかミズーリ州のワイルダー記念館は、ワイルダーの蔵書リストをもっていたと思うので、今度出版される「パイオニアガール」にどんな注釈がつくのか楽しみです。

2014年1月10日金曜日

PG10 クリスマス

小さな家はおいしそうなシリーズだけど、なかでも美味しそうなのがクリスマス。「大きな森の小さな家」で、お客様をむかえるためにかあさんが作ったごちそうは、

壺いっぱいのクッキー、
ライ麦&コーンミールパン、
スェーデンクラッカー、
塩づけブタ入りベークド・ビーン、
ビネガー・パイ、
干しリンゴのパイ、
雪の上で固めた糖蜜のキャンディー
塩でふくらませたパン

というもの。
ところが、「パイオニアガール」のクリスマスに出て来るのは最後の四つだけ。大きな森のほうが断然おいしそう。

それに「大きな森の小さな家」では、ローラはプレゼントに人形のシャーロッテをもらうのに、「パイオニア・ガール」ではシャーロッテは登場しません。
以前は小さな家シリーズを実話と思っていたので、「この楽しき日々」でローラが結婚するときにこのシャーロッテを連れて行くのを読んで、「ちゃんと取っておくなんて、すごーい」と感激したけれど、シャーロッテはワイルダーの創作なのかもしれない・・・・。でも、「パイオニアガール」の五歳の誕生日にはかあさんの手作りの布人形をもらっているので、それがシャーロッテの話の基になっているのかも・・・・。
創作だとしても、第一巻の「大きな森の小さな家」で登場させた人形を、最終巻の「この楽しき日々」の大事なシーンで登場させて読者の感激を誘うなんて、心憎いというか、さすがですね。

2014年1月6日月曜日

PG9 編み物

「パイオニア・ガール」には四才のローラがかあさんから編み物を習い、ミトンを作る話があります。 ローラのことですから、 あまり辛抱強くなかったようですが、 かあさんはできるまでやらせました。ようやく両方とも編み上げたら、最初に編んだのは犬がおもちゃにしていたようで、もう一度やり直し。ローラには気の毒だけど笑っちゃいます。


物語のローラは手芸があまり好きではなかったとありますが、 実在のワイルダーは楽しんでいたようです。 ワイルダー記念館にはワイルダーのドレスやキルトをはじめ、手作りのものが展示されています。 ワイルダーはボビンレースもしていたようで、 繊細なレースの襟を見た時は感激しました。今では手作りというと、愛情とかぬくもりとか云う言葉とワンセットになっているけれど、 ローラやワイルダーやかあさんのそれは、 いかにも質実剛健という感じがします。 手作りについて聞かれたら、彼女たちは自分で作れるものを、なぜ高いお金を払って買う必要があるのか、と答える気がします。

2014年1月2日木曜日

PG8 開拓時代の119番

「パイオニア・ガール」には、大きな森で山火事が起きる話があります。森の中から数発の銃砲を聞いたとうさんは誰かが迷ったのを察知して、 銃を空に向かって撃ち、 迷子になった人に 居場所を知らせました。

開拓時代には110番も119番もなかったけれども、 緊急時には隣人が駆けつけて助け合いました。
アルマンゾの家では昼ごはんの合図にラッパを使っていましたが、 開拓時代によく活躍したのはディナーベルと呼ばれる三角形のベルです。 音楽の時間に使うようなトライアングルを大きくしたようなもので、 昼食の合図に使われました。 でも、 緊急時には119番に早変わり。 繰り返し鳴らすと、異変に気づいた人たちが駆けつけてくれたのです。 いわば、 開拓時代の携帯電話です。  ローラたちが学校でノート代りに使っていた石板にしても、 今でいうならiPadです。  デジタルではないだけで時代が違っても、 基本的な機能は同じですね。 


「はじめの四年間」にはローラたちの家が火事になった話があります。火事の原因は描かれていませんが、 後年、ワイルダーの娘のレインは、自分がわらをくべようとしたのが原因だと述べていて、 アメリカの研究者もそれを言葉どおりに受け取っています。


でも、本当でしょうか?   開拓記念館で十九世紀の料理用ストーブを使っている私の経験からいうと、それを言葉どおりに受けるのは、無理があります。当時の料理用ストーブは、バーナーだけでなく、ストーブ全体が発熱しますから、幼児の事故も多かったのです。 だから、 たった二~三歳の子供がわらをくべようとしたら、 常識のある親なら絶対にやらせないはずです。 ストーブでなくても、幼い子供に火を扱わせたりしません。レインがくべたわらが原因というのは、 本人の思い違いではないでしょうか? 
むしろ、ストーブのそばに置いてあったわらから出火したのではないかと思います。ストーブの隙間から火の粉が飛び出してくることがありますから。