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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2014年2月24日月曜日

PG39 自然のある暮らし

長い冬の危険が去ると、とうさんは町の家を売って、インガルスは開拓農地へと移りました。「パイオニアガール」からは、農地での暮らしに戻ったときの喜びが伝わってきます。町の生活は仮住まいで、ローラは心から自然を身近に感じる暮らしを愛していたんだな、としみじみと感じます。


出版作品では、インガルスの開拓農地の周りには、誰も 住んでいないかのように描かれていますが、実際は、近隣には何人かの入植者がいて、おつきあいがありました。とうさんが現金収入をえるために働いているときは、雇人に農地を任せたりしています。出版作品で近隣の人々を割愛したのは、インガルスを孤立させて、独立自尊を強調するためだったとある研究者はみています。


いずれにしても、ローラは入植者よりも、大自然に生きる動物や植物とのほうが、相性がよかったようです。出版作品同様、「パイオニアガール」でも、大草原に咲き乱れる花々や、ガーターヘビ、ゴーファーといった小さな生きものが、いきいきと描かれています。
自然に興味のない人には、ただの何もない空間が、ローラの眼を通してみると、不思議に満ち溢れた美しい空間となって、映画のように映し出されます。


普通の人が見過ごしてしまうようなありふれたものにも、ワイルダーは目を配っていました。その鋭い観察眼が、彼女特有の緻密な描写を生み出したのでしょう。

PG40 ブラックバード

「大きな森の小さな家」には、月曜日には洗濯、火曜日にはアイロンかけ・・・というように、かあさんの、一週間の家事の予定が描かれています。
同じような予定が「パイオニアガール」にもありますが、かなり後半になってからで、予定表以外にも家畜の世話や菜園の手入れも綴られています。子どもたちが家の仕事をするのは当たり前で、毎日、かあさんと娘たちが、忙しく働いていた様子が伝わってきます。


小さな家シリーズはおいしそうな話でいっぱいですが、ブタの尻尾とならんで美味しそうなのがブラックバードのパイです。トウモロコシ畑を荒らしたブラックバードの大群を、インガルスがパイにして食べてしまう話は「パイオニアガール」に出てきます。ブラックバードパイは美味しかったようですが、「パイオニアガール」にはパイそのものの描写がないので、読んでいても、出版作品ほどおいしそうではありません。


出版作品では、ブラックバードの大群のせいで、とうもろこしの収穫がなくなってしまい、仔牛を売ってメアリの盲学校の費用に充てたことになっています。でも、これはワイルダーとレインの創作の可能性があります。
実在のメアリの盲学校の費用は、ダコタ政府が負担してくれました。最初、ワイルダーはそれを正直に書いたのですが、 ワイルダーもレインもニューディールに反対で、政府に頼らないのをモットーにしていたこともあり、その部分は削除されました。
「パイオニアガール」にはブラックバードの大群でトウモロコシの収穫がダメになったことと、ブラックバードパイがおいしかったこと、ローラが縫い子をして稼いだお金が盲学校進学に役に立ったことには触れていますが、仔牛を売って盲学校の費用を捻出する話はありません。二人は政治的な主張をするために、鳥による被害と盲学校の費用を結び付けて、話を創り上げたのかもしれません。「パイオニアガール」にどんな注釈がつくのか楽しみです。


 インガルスの畑は何種類ものブラックバードが襲いました。これはその一つで、パイにされました。大草原のブラックバードパイもどきの作り方はこちらでご覧になれます。

2014年2月23日日曜日

PG38 インディアンの墓あらし

「大草原の小さな家」にはインディアンがときの声をあげて、移住者との間に緊張が走る話がありますが、同じようなことがデ・スメットでもありました。インディアンの赤ん坊のミイラに興味を持った医師が、調査のために遺体を盗んだからです。遺体が両親のもとに戻るまでの間、毎日、インディアンはときの声を上げ、武力での解決も辞さないと、威嚇行為に出たため、移住者との間に高い緊張が走りました。


ミイラを盗んだ本人はとっくに逃げてしまったので、 迷惑をこうむったのは残された人たちでした。まったく関係のないのに、白人と言うだけで、武力衝突に巻き込まれそうになったのですから。
でも、赤ん坊が無事に戻ると、インディアンたちは誰も傷つけずに居留地へと引き返しました。


ワイルダーはダコタからミズーリへ向かう旅の途中、美しい川をみて、「わたしがインディアンだったらもっと白人の頭の皮をはいでやるのに」と、旅日記に記しました。インガルスを含めた白人の移住が、インディアンを追い詰めていたのを理解していたと読み取れる発言です。
それから数十年後、ワイルダーは西部開拓を担った人々の誇りを描いた作品を出版しました。作品中で、自由と独立を高らかにうたったワイルダーは、移住者の自由は先住民の犠牲の上に成り立ったものだと気づいていたはずです。小さな家を執筆しながら、彼女の胸には、どのような思いが去来していたのでしょうか?


2014年2月21日金曜日

PG37 長い冬

七か月も続く長い冬の間、インガルスは町の家で過ごしました。「パイオニアガール」によると、その家にはジョージとマギーという若い夫婦と生まれたばかりの赤ん坊が同居していました。出版作品ではこの夫婦は割愛されています。この二人はできちゃった婚でした。


ジョージは、ローラの先生だったサム・マスターズの息子でした。サムは女の子の手を握る癖のある先生で、その息子ですから、どんな人間だったかは推して知るべし。猛吹雪に閉じ込められ、食糧も乏しくなったとき、その人間の本性があらわれます。ジョージは同居するには好ましい人間ではなかったようで、同居人というよりも、「金を払うのだから」と間借り人のようなふるまいをしていました。「パイオニアガール」には、彼のふるまいや批判が詳しく述べられていて、どうやらローラは彼に切れたようです。


それと同時に、「パイオニアガール」には、デ・スメットの人々が、長く厳しい冬の間、協力しあい、普段と同じように快活に過ごしていて、けっして挫けず、大きなトラブルもなかったことも、誇らしげに述べられています。それに愛する女性のために吹雪をくぐりぬけた男性の悲劇も描かれています。


手元に資料がないので、はっきりとは言えないのですが、その長い冬の経験者の一人は、デ・スメットでは吹雪の合間をぬって、近くの町へ食べ物の買い出しにいき、皆で分けたと、後年、語っていたはずです。この買い出しは、アルマンゾとキャップが買い付けた小麦とは別の話だと思いました。


「長い冬」では汽車が雪に埋まる話があります。こちらでその写真が見られます。

2014年2月20日木曜日

PG36 芝土の家

インガルスがデ・スメットで建てた開拓小屋は木造ですが、デ・スメットのような森や林のない大草原では、芝土の家が一般的でした。芝のびっしりとからみついた土をブロック状に伐り出して積み上げたもので、室内が暗いのが難点ですが、冬は暖かく、夏は涼しかったようです。デ・スメットのインガルスの納屋は芝土で出来ていました。


「パイオニアガール」にはその芝土の家の作り方が記されていて、当時のダコタで、よくうたわれていた歌がそれに続いています。
 大草原では、竜巻、野火、吹雪、バッタ、野性動物、泥棒、殺人、詐欺、借金といった、ありとあらゆる難題に直面しましたが、その一つに孤独がありました。人と滅多に会わずに風の吹きすさぶ大草原に暮らしているうちに、精神を病む人も少なくありませんでした。
その歌は、 孤独な大草原の芝土の家で、厳しい現状を受け入れて、懸命に生きようとする人々の心情を歌ったもので、ユーモラスに自嘲的に歌っているだけに、感じ入るものがあります。
音楽家が作ったのではなく、人々の間で自然に歌われるようになった感じがします。
 ワイルダーは、「開拓魂とはユーモアと明朗さ」といっていました。この歌にはその開拓魂があふれています。こういう歌をうたえる人々だけが、西部で生き残れたのでしょう。


長い冬の間、インガルスは干し草の棒をよじって暖をとりました。その歌には干し草の棒も出てくるので、ひょっとしたら、この歌は出版作品でも使われているのかもしれません。
もしそうなら m(_ _)m。


芝土の家の写真はこちらでみられます。

2014年2月18日火曜日

PG35  春のラッシュ

「シルバーレイクに岸辺で」には、春のラッシュが始まり、インガルスの暮らしていた測量技師の家がホテル代わりになって、入植者を迎える話があります。「パイオニアガール」によると、かあさんの右腕だったローラは、おさんどんだけでなく、メアリの面倒もみたりして、ほんとうにクタクタになるまで働いていたのが十分過ぎるほどに伝わってきます。
いくら春と言ってもまだ雪があるくらい寒かったので、入植者を外へ放り出すわけにはいかなかったこともあったのでしょう。現代は満室ならホテル側は冬でも客を断れますが、 昔は断りませんでした。凍え死んでしまうからです。インガルスが入植者をみな受け入れたのは、そういう事情があったのかもしれません。


デ・ スメットの町ができる前、ウォルナットグローブの教会の牧師だったオルデン牧師はシルバーレイクにやってきて、インガルスの暮らしていた測量技師の家で礼拝をおこなってくれました。そのオルデン牧師の紹介で、新しく出来たデ・スメットの町へやってきたのが、ブラウン牧師でした。
ブラウン牧師は、数年後に、ローラとアルマンゾの結婚式をあげてくれた牧師です。でも、不潔で、品がなく、だらしなくて、ローラは嫌いでした。ブラウン牧師は教会を組織するためにやってきたと思われていましたが、「パイオニアガール」によると違ったようです。
現在の北米では聖職者のトラブルやスキャンダルがあとをたちませんが、昔も似たようなものだったようです。ちなみに実在のオルデン牧師は、妻子を捨てて駆け落ちしたそうです。


春のラッシュには土地泥棒もやってきました。「シルバーレイクの岸辺で」には、土地泥棒に開拓農地を盗まれないように、インガルスが開拓農地へ引っ越す話があります。そうしたのは、入植者の一人が、彼の開拓小屋に潜んでいた土地泥棒に殺されたからです。「パイオニアガール」には、そうなった経過や犯人への憤りも描かれています。








2014年2月16日日曜日

PG34 シルバーレイクで

「シルバーレイクの岸辺で」には、冬の訪れとともに鉄道の飯場が取り壊されて、誰もいなくなったシルバーレイクの測量技師の家で過ごすインガルスの暮らしが描かれています。


同じような話が 「パイオニアガール」にもあります。ローラとキャリーが月夜の晩にオオカミに出くわしたのも、ボーストさんと過ごしたクリスマスや新年のお祝いも、チェッカーを楽しんだのも、みな同じです。
測量技師の家で過ごした冬、インガルスはとうさんのバイオリンに合わせて、たくさんの歌を歌いました。とうさんの好きな曲Sweet By and  Byもその一つです。この讃美歌が、とうさんの葬式で演奏されたのはよくしられていますが、その情報元は「パイオニアガール」のようです。


 原作と異なっているのは、原作ではシルバーレイクの辺りには、インガルスしかいないのに、実際には何人かの入植者がいて、インガルスの暮らしていた測量技師の家には、独身の男性が同居している点です。「長い冬」でも同居していたカップルが割愛されています。ある研究者は、ワイルダーやレインが、独立や自由を強調するために、故意に同居者を省いたとみています。


小さな家シリーズの創作に関与したローズ・ワイルダー・レインがリバタリアンだったこともあり、小さな家はアメリカのリバタリアンに大きな支持を得ています。長い間、日本では、小さな家は「理想の家族」と捉えられてきたのに、最近はリバタリアンと結び付けて見られるようになったのは、興味深いです。


Sweet By and Byはこちらで視聴できます。これはミズーリ州マンスフィールドのワイルダー記念館で開かれた演奏会で、とうさんのバイオリンで演奏されました。











2014年2月14日金曜日

PG33 鉄道の飯場

「シルバーレイクの岸辺で」には、とうさんが工夫たちに給料を払うように詰め寄られて、緊張感が走る話があります。「パイオニアガール」にもそれと同じ話がありますが、それ以外にも、飯場でおきたさまざまなトラブルが原作よりも生々しく描かれています。


馬泥棒やら給料交渉やらで、現場には一触即発の緊張感が漂っていました。ハイラムおじさんたちも、鉄道会社の汚いやり口に対して、それなりのやり方で対抗したようです。だましあいは日常茶飯事だったようですが、そういうことは出版作品では描かれていません。


中でも光っているのはビッグジェリーです。彼はテネシーの山猫のエドワーズさんみたいです。彼がやってくると、必ずいいことがあるからです。少なくともインガルスにとっては。ネリーオルソンのような「東部」の男を、イタイ目にあわせたりして痛快です。身体のがっちりしたイイ男だったようで、出版される「パイオニアガール」にどんな注釈がつくのか、楽しみです。

2014年2月12日水曜日

PG32 かあさんとインディアン

1990年代はポリティカル・コレクトの時代ということもあり、小さな家の先住民の描写が問題になりました。とくにかあさんは先住民をあからさまに嫌っていたので、批判の的でした。でも、実在のキャロライン・インガルスは、ほんとうにインディアンを毛嫌いしていたのでしょうか?


「シルバーレイクの岸辺で」には、インガルスが幌馬車でシルバーレイクへ向かう途中、白人とインディアンの混血のビッグジェリーがインガルスたちのあとをついて来る話があります。とうさんは「怪しい奴がいても、ジェリーがいれば大丈夫」と安心するのに、かあさんはインディアンの血が混ざっているというだけで、彼を信用しません。そのときかあさんは、インディアンを「吠えたける野蛮人」と呼んでいます。


でも、「パイオニアガール」にはそのような描写はありません。それどころか、インガルス一家とビッグジェリーは親しかったようです。
「長い冬」でもかあさんがインディアンを嫌う描写がありますが、下書き原稿(「パイオニアガール」ではない)にはありません。作品を面白くするために、ワイルダーはかあさんをインディアンを嫌う人物に創りかえた可能性があります。
作品のかあさんと実在のキャロライン・インガルスは同一人物ではないとわかっていても、それを知って、ホッとしたり安心したりする読者も多いのではないでしょうか?


アメリカでは、先住民の描写が糾弾されると、白人側は、「かあさんはあの時代を反映しているに過ぎない。今の基準で批判するのはおかしい」と反論してワイルダーを擁護しています。それはもっともですが、そう擁護している人のほとんどは、自分の落度をワイルダーに責任転嫁しているだけだと思います。

なぜなら、彼らは白人の視点でしか小さな家を読んでこなかったからです。先住民側が声を上げる前に、先住民の視点で作品を読み、彼らに配慮する発言をしていたら、先住民側がこれほど憤ることもなかっただろうに、と思います。ワイルダーを擁護する前に、自分たちの落度を認めるほうが先なのではないでしょうか? 先住民問題が表面化したとたん、それまでまったく無関心だった研究者や読者が、「私はこのように読んでいます云々」ともっともらしく言っているのを聞くと、(゜▽゜;) と思ってしまいます。


最近は、白人側も先住民の視点を考慮するようになりました。それは喜ばしいですが、白人側の人々から自分たちの落度を反省する言葉を聞いたことはありません。ポリティカルコレクトに合わせているだけの人もいるのでしょう。
多民族国家のアメリカは、人種や民族間の緊張の上に成り立っている社会です。ロナルド・レーガンのような、とりわけ「白い」大統領が当選したら、どのような動きが出て来るのでしょうか?
 




2014年2月11日火曜日

PG31 汽車の旅


「シルバーレイクの岸辺で」には、ローラたちが汽車でトレイシーまで旅をして、とうさんと再会する話があります。
この汽車の旅を腑に落ちないと感じている人は少なくありません。私もその一人です。というのは、デ・スメットとトレイシーは、ほんとうに近くて、わざわざ汽車でいく必要があるのか疑問だからです。
そのときチャールズ・インガルスは鉄道会社で働いていたので、割引か無料の切符を手に入れたのかもしれないと、推測している人たちもいます。


同じ話が「パイオニアガール」にもありますが、残念ながら、何も書いてありません。


ワイルダーは幼いころは幌馬車と汽車で、晩年は車と飛行機で旅をしました。その中でいちばん好きだったのは言うまでもありません。好き嫌いは利便性だけではなかったようです。


トレイシーから幌馬車の旅を続けて、インガルスはドーシアおばさん一家と合流しました。「パイオニアガール」には、「シルバーレイクの岸辺で」と同じく、ローラはいとこのレナとジーンとはだか馬に乗り、馬車で洗濯物を取りに行く話が描かれています。黒髪のレナは、ローラよりほんの少しだけ年上なのに、歳よりも大人びていました。野生的で美しいレナに、ローラは惹かれるものがあったのでしょう。レナと一緒のローラは、のびやかで、力強く、野性的な美しさを持った西部の女の子です。

2014年2月10日月曜日

PG30 お手伝いのない日

「パイオニアガール」を読んでいると、まだ小学生なのに働きづめだったローラが見えてきます。バーオークではかあさんを手伝って、ホテルで給仕や皿洗いをしました。ウォルナットグローブにもどってからも、マスターズさんの奥さんに頼まれて、ホテルで配膳や下ごしらえや子守をしました。病人の介護をするために、住み込みで働いていたこともあります。そのときホームシックになったローラは、神の存在を感じたと告白しています。


メアリーが失明してからは、かあさんの右腕になって、かあさんの手伝いをしたり、メアリーや妹たちの面倒をみました。とうさんが鉄道の仕事を得て、ダコタへ行ってしまうと、残されたかあさんとローラは荷造りに追われる忙しい毎日が続きました。
そんなある日、ローラはかあさんから、お手伝いのない日をプレゼントされました。とっても楽しかったようで、ともだちと遊んだだけのごく平凡な日だったのに、まるで特別な日だったかのように描かれています。かあさんは、ローラがどんなにしっかりしていても、子どもでいられる時間が必要だとわかっていたのでしょう。


そういった何気ない気遣いから、かあさんの思いやりの深さと、子どもを守れる成熟した大人を見る思いがします。

2014年2月8日土曜日

PG29 男の子をめぐる争い

たいていクラスには、気になる男の子が一人か二人いて、その子をめぐって、クラスの女子がキャーキャーやるものですが、これって世界共通です。「パイオニアガール」によると、ウォルナットグローブの学校でも、似たようなことがあったようです。


でも、ローラは女の子たちが騒いでいても、一歩引いているような感じがします。クラスメイトとしてその子に好意をもっていても、異性として意識していないというのかな。男の子の気を引くようなことをしても、それはネリーやジェネヴィーヴのいいようにはさせたくないからで、男の子に気があったわけじゃない。冷めているともいえますが、はっきりいうと色気がない! 


「パイオニアガール」」でもネリーやジェネヴィーヴは、原作のネリー同様、美しいドレスをきた可愛らしい女の子として描かれています。
ローラは、女のフェロモンをふりまいている女の子が嫌いだったけれど、ネリーたちを嫌ったのはそれだけではないような気がする。


「大草原の小さな町」でネリーと再会した時、ローラはすばやくネリーの容姿を観察しています。ローラは美しいネリーに対して、女としてのコンプレックスがあったんじゃないかなあ。金髪のメアリにあったように。「ネリーオルソン」という人物を生み出した原動力には、女としての嫉妬やねたみもあったように思います。

2014年2月7日金曜日

PG28 メアリとかあさん

ローラはおてんばで、外で飛び跳ねるのが好きだけど、メアリーはおとなしくて、家で手芸をしているのが好き、というのが原作からの印象です。それは「パイオニアガール」でも同じです。


でも、メアリーってホントにおとなしいかったのかな? 縫い物や編み物が好きだからといって、女らしいとか、おとなしいわけじゃない。 ただ単に、当時の習慣や価値観に従順だっただけ、という気もする。
「パイオニアガール」によると、メアリーは十三歳のローラが男の子たちと雪合戦をしているのをみて、「女らしくない」とローラの髪をひっつかんで止めようとしたり、ローラがやめないとかあさんに言いつけたりしました。ローラはそんなメアリーを「告げ口屋」と呼んでいました。
メアリって、きれいで頭が良くて、親のいうことを聞く良い子で、どうすれば親が喜ぶかを知っていて、ローラもそれに気づいていました。メアリって失明しなかったら鼻持ちならない女になっていたような気がする。失明してからのメアリの方が好感が持てます。


十九世紀の女性の体型は、砂時計のような細いウェストが理想でした。当時の「今どきの女の子」は、男性を射止めるために、ウェストを細くしようと必死だったそうです。結婚すると母親や妻としての役割を求められたけど、「今どきの女の子」たちは、女であることをあきらめようとせず、頭を抱える男性もいたそうです。
ローラのかあさんも、独身時代はとうさんの両手がまわるくらいウェストは細かったから、「今どきの女の子」だったのかも。結婚してから妻と母親に専念したかあさんは、「今どきの価値観」にも従順でした。


きつく締めすぎると内臓の位置がずれてしまい、健康を損なう危険もあるのに、メアリは寝る時もコルセットをつけていました。ローラは我慢出来なくて、寝るときははずしていました。かあさんはそんな娘を心配していました。三人の女性の生き方がコルセットから見えてきます。
ある学者さんは、今の女性はジムにいったりダイエットして、目に見えないコルセットをつけている、と述べていました。ハイヒールも人気があるし、昔とあまり変わっていないのかもしれません。



学生時代、児童文学研究会のメンバーだった男の子は、メアリやかあさんのファンでした。彼の理想の女性は知的美人で、「女性とは対等の関係が良い」とも言っていました。
まだ二十歳そこそこだった私は、彼を進歩的な人と思っていたけど、今にして思うと、対等に知的な会話ができて、男性優位社会の価値観に従順だったメアリとかあさんは、たんに都合がよい女だったという気がする・・・・・・・と、先日、友だちに話したら、「日本の男なんて保守的だから、そんなもんじゃないの」と返ってきました。たしかに。



2014年2月6日木曜日

PG27 ネルソンさん


プラムクリークで隣人だったネルソンさん夫妻は、とうさんが居ないときに郵便をとってきてくれたり、火の輪から家を守ってくれたり、病気のかあさんのために医師を呼びにいってくれたりと、いつもインガルスに親切にしてくれました。たった一つだけ気になるところをあげれば、ローラの大切な人形のシャーロッテを誘拐して、水たまりに放置した件でしょうか? 
でも、ネルソンさんは、一貫して、真面目で、きちんとした人に描かれています。


ところが、「パイオニアガール」を読むとそうでもなかったみたいです。夫婦そろって、テネシーの山猫のエドワーズさんみたいな感じかな。エドワーズさんて唾をはいたり、ウソをついて税金をごまかしたりしていたけど、いかにもそういうことをしでかしそうなお二人です。 ネルソンさんの奥さんは威勢のいい母ちゃんで、ダンナさんは飲んだくれのダメ男みたいな印象を受けます。


でも、そんなネルソンさんですが、インガルスはとても感謝していました。そういう人たちともやっていかれるインガルスの柔軟性も印象的です。

2014年2月4日火曜日

PG26 男女のゴシップ

まだ十一、二歳のころ、ローラはホテルで皿洗いや給仕の仕事をしていました。「パイオニアガール」にはそのときローラが見聞きした三角関係の男女のもつれによる悲劇が描かれています。その人たちに対するローラの印象を読むと、子どもながらに女特有のいやらしさにも気づいており、幼いころから鋭い観察眼を持っていたのがわかります。細かいことは知らなかったようですが、大人の世界にも好奇心旺盛で、いつも耳をそばだてていて、あれこれ思いめぐらしていたようです。


「あれ?」と思ったのは、両親もそのゴシップを知っており、それをローラの前でも話していたような印象をうけるのです。ふつう、子どもの前で、男と女の生々しい関係は話さないと思うのですが。とくに原作のかあさんのイメージからは。ひょっとしたらローラが、偶然耳にしてしまったのかもしれませんが、「パイオニアガール」のほかの箇所を合わせ読むと、両親はけっこうあけすけに話していたのかな、と思います。


とうさんは治安判事をしていて、インガルスの家が法廷代わりになりました。とうさんが判事になるときは、家族は奥に引っ込んでいましたが、ローラは男をめぐる女の復讐などのゴシップを盗み聞きしていました。ほかに行くところがなかったから聞こえてしまったのかもしれないけど、かあさんは何も言わなかったのかな~? かあさんも一緒に聞いていたみたいで、人間くさくて笑っちゃいます。 ワイルダーがハッピーな結婚生活を送っていたのは、こういったゴシップで男を見る目が養われたのかも・・・・・・・?


「パイオニアガール」はいくつものゴシップにあふれていますが、ワイルダーはこういった話を出版作品には書きませんでした。伝記作家のゾカートも同様です。どちらも幼い「小さな家」の読者に配慮したのでしょう。
北米では数十冊にも及ぶワイルダーの伝記が出版されているのに、このようなゴッシプをローラが知っていた、書いていた、ということは、ほとんど取り上げていません。エッセイ集も何冊も出版されていますが、人気のあるエッセイ集には、ワイルダーや「小さな家」のイメージにそぐわないものは含まれていません。現代のアメリカでワイルダーは西部開拓の象徴でアメリカのヒーローです。子どもたちに配慮するだけでなく、ワイルダーの聖なるイメージを壊したくないという編纂者や執筆者の心理も働いているのでしょう。


でも、私はそんな創られたワイルダーではなく、生身の彼女を知りたいです。邦訳されていないエッセイ集や研究書などを読むと、エネルギッシュで野心家で、ひとクセもふたクセもあるローラインガルスワイルダーという人間が見えてきて、何倍も興味深いです。




2014年2月3日月曜日

PG25 日曜学校のピクニック

ゾカートの伝記には、ウォルナットグローブに居たときに、ローラ、メアリー、キャリーの三人が日曜学校のピクニックに行った様子が描かれています。かあさんはとっておきのレモンパイをもたせてくれましたし、ピクニックではアイスクリームとレモネードがふるまわれるので楽しみにしていました。ところが、レモネードは五セント、アイスクリームは十セントで、お金を持ってこなかった三人はがっかり。しかも、かあさんのレモンパイは日曜学校の先生方のお腹に入ってしまってひと口も食べられず、新しい靴を履いていたローラは足が痛くてたまらず、踏んだり蹴ったりの有様でした。


同じ話が「パイオニアガール」にも描かれています。でも、ピクニックに行ったのは二人だけです。ゾカートが「パイオニアガール」を基にして伝記を書いたのは、記述からも明らかですが、微妙に違っています。私の持っている「パイオニアガール」の版と彼の版とが違うのかもしれません。だとしたら、自伝と言われている「パイオニアガール」の信憑性はいかほどのものなのでしょうか? 

2014年2月1日土曜日

PG24 ネリーとジェネヴィーヴ

バーオークからウォルナットグローブにもどると、ローラたちは再び学校へ通いました。ローラの先生はアンクル・サムと呼ばれていたマスターズ先生で、女の子の手を握るという嫌な癖がありました。でも、ローラの手を握ろうとしたとき、ローラは手に針をはさんでいたので、それ以来、二度と手を握ろうとしなかったそうです。


先生の娘のジェネヴィーヴ・マスターズも同じクラスでした。彼女は、ネリーもびっくりの甘やかされたオジョーサマで、東部からきたのを鼻にかけていました。そのジェネヴィーヴとネリーが同じクラスになったのだから、さあ、たいへん! どちらもお山の大将になりたくてクラスは二分され、どちらにもつこうとしないローラを二人は必死に取り込もうとしました。ところが、驚いたことに、クラスの大将になったのはローラだったのです!


ネリー・オルソンは三人の女の子を基に創られた創作上の人物で、そのうちの二人は、このネリー・オウェンズとジェネヴィーヴ・マスターズです。二人とも似たような性格だったので、どちらもネリー・オルソンにしたという、ワイルダーの手紙も残されています。


ジェネヴィーヴ・マスターズはもどうしようもないくらい甘やかされていました。彼女の父親のアンクル・サムも女の子の手を握り、発明家きどりで町中に迷惑をひきおこしました。彼女のいとこも飲んだくれでどうしようもありませんでした。どうやらこれはマスターズ一族の血のなせるわざかもしれません。