注目の投稿

PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2014年2月3日月曜日

PG25 日曜学校のピクニック

ゾカートの伝記には、ウォルナットグローブに居たときに、ローラ、メアリー、キャリーの三人が日曜学校のピクニックに行った様子が描かれています。かあさんはとっておきのレモンパイをもたせてくれましたし、ピクニックではアイスクリームとレモネードがふるまわれるので楽しみにしていました。ところが、レモネードは五セント、アイスクリームは十セントで、お金を持ってこなかった三人はがっかり。しかも、かあさんのレモンパイは日曜学校の先生方のお腹に入ってしまってひと口も食べられず、新しい靴を履いていたローラは足が痛くてたまらず、踏んだり蹴ったりの有様でした。


同じ話が「パイオニアガール」にも描かれています。でも、ピクニックに行ったのは二人だけです。ゾカートが「パイオニアガール」を基にして伝記を書いたのは、記述からも明らかですが、微妙に違っています。私の持っている「パイオニアガール」の版と彼の版とが違うのかもしれません。だとしたら、自伝と言われている「パイオニアガール」の信憑性はいかほどのものなのでしょうか?