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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2014年2月4日火曜日

PG26 男女のゴシップ

まだ十一、二歳のころ、ローラはホテルで皿洗いや給仕の仕事をしていました。「パイオニアガール」にはそのときローラが見聞きした三角関係の男女のもつれによる悲劇が描かれています。その人たちに対するローラの印象を読むと、子どもながらに女特有のいやらしさにも気づいており、幼いころから鋭い観察眼を持っていたのがわかります。細かいことは知らなかったようですが、大人の世界にも好奇心旺盛で、いつも耳をそばだてていて、あれこれ思いめぐらしていたようです。


「あれ?」と思ったのは、両親もそのゴシップを知っており、それをローラの前でも話していたような印象をうけるのです。ふつう、子どもの前で、男と女の生々しい関係は話さないと思うのですが。とくに原作のかあさんのイメージからは。ひょっとしたらローラが、偶然耳にしてしまったのかもしれませんが、「パイオニアガール」のほかの箇所を合わせ読むと、両親はけっこうあけすけに話していたのかな、と思います。


とうさんは治安判事をしていて、インガルスの家が法廷代わりになりました。とうさんが判事になるときは、家族は奥に引っ込んでいましたが、ローラは男をめぐる女の復讐などのゴシップを盗み聞きしていました。ほかに行くところがなかったから聞こえてしまったのかもしれないけど、かあさんは何も言わなかったのかな~? かあさんも一緒に聞いていたみたいで、人間くさくて笑っちゃいます。 ワイルダーがハッピーな結婚生活を送っていたのは、こういったゴシップで男を見る目が養われたのかも・・・・・・・?


「パイオニアガール」はいくつものゴシップにあふれていますが、ワイルダーはこういった話を出版作品には書きませんでした。伝記作家のゾカートも同様です。どちらも幼い「小さな家」の読者に配慮したのでしょう。
北米では数十冊にも及ぶワイルダーの伝記が出版されているのに、このようなゴッシプをローラが知っていた、書いていた、ということは、ほとんど取り上げていません。エッセイ集も何冊も出版されていますが、人気のあるエッセイ集には、ワイルダーや「小さな家」のイメージにそぐわないものは含まれていません。現代のアメリカでワイルダーは西部開拓の象徴でアメリカのヒーローです。子どもたちに配慮するだけでなく、ワイルダーの聖なるイメージを壊したくないという編纂者や執筆者の心理も働いているのでしょう。


でも、私はそんな創られたワイルダーではなく、生身の彼女を知りたいです。邦訳されていないエッセイ集や研究書などを読むと、エネルギッシュで野心家で、ひとクセもふたクセもあるローラインガルスワイルダーという人間が見えてきて、何倍も興味深いです。