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2014年2月12日水曜日

PG32 かあさんとインディアン

1990年代はポリティカル・コレクトの時代ということもあり、小さな家の先住民の描写が問題になりました。とくにかあさんは先住民をあからさまに嫌っていたので、批判の的でした。でも、実在のキャロライン・インガルスは、ほんとうにインディアンを毛嫌いしていたのでしょうか?


「シルバーレイクの岸辺で」には、インガルスが幌馬車でシルバーレイクへ向かう途中、白人とインディアンの混血のビッグジェリーがインガルスたちのあとをついて来る話があります。とうさんは「怪しい奴がいても、ジェリーがいれば大丈夫」と安心するのに、かあさんはインディアンの血が混ざっているというだけで、彼を信用しません。そのときかあさんは、インディアンを「吠えたける野蛮人」と呼んでいます。


でも、「パイオニアガール」にはそのような描写はありません。それどころか、インガルス一家とビッグジェリーは親しかったようです。
「長い冬」でもかあさんがインディアンを嫌う描写がありますが、下書き原稿(「パイオニアガール」ではない)にはありません。作品を面白くするために、ワイルダーはかあさんをインディアンを嫌う人物に創りかえた可能性があります。
作品のかあさんと実在のキャロライン・インガルスは同一人物ではないとわかっていても、それを知って、ホッとしたり安心したりする読者も多いのではないでしょうか?


アメリカでは、先住民の描写が糾弾されると、白人側は、「かあさんはあの時代を反映しているに過ぎない。今の基準で批判するのはおかしい」と反論してワイルダーを擁護しています。それはもっともですが、そう擁護している人のほとんどは、自分の落度をワイルダーに責任転嫁しているだけだと思います。

なぜなら、彼らは白人の視点でしか小さな家を読んでこなかったからです。先住民側が声を上げる前に、先住民の視点で作品を読み、彼らに配慮する発言をしていたら、先住民側がこれほど憤ることもなかっただろうに、と思います。ワイルダーを擁護する前に、自分たちの落度を認めるほうが先なのではないでしょうか? 先住民問題が表面化したとたん、それまでまったく無関心だった研究者や読者が、「私はこのように読んでいます云々」ともっともらしく言っているのを聞くと、(゜▽゜;) と思ってしまいます。


最近は、白人側も先住民の視点を考慮するようになりました。それは喜ばしいですが、白人側の人々から自分たちの落度を反省する言葉を聞いたことはありません。ポリティカルコレクトに合わせているだけの人もいるのでしょう。
多民族国家のアメリカは、人種や民族間の緊張の上に成り立っている社会です。ロナルド・レーガンのような、とりわけ「白い」大統領が当選したら、どのような動きが出て来るのでしょうか?