「大草原の小さな町」によると、まだ十五歳のローラが教職につけたのは、学習発表会での成功がきっかけで教員免許を取得したからとなっています。
でも、「パイオニア・ガール」では学習発表会の話はありません。教壇に立っている時に下宿していた家も「ブルースター」ではなく、本名の「ブチー」のままです。本名だとさしさわりがあると思って、出版作品では仮名にしたのでしょう。
「この楽しき日々」の下書き原稿(「パイオニア・ガール」ではない)では、毎週、アルマンゾがローラを学校まで迎えに来て、ローラは週末を家で過ごす話があります。そのときローラは、「家に帰りたいからソリに乗せてもらっているだけで、家に帰ったらもう乗ることはありません。寒くて長いドライブはやめてもらってもかまいません」とアルマンゾに告げます。でも、その週末にアルマンゾはいつもどおりローラを迎えに来ます。つまりローラの言葉はあまり重要な意味を持ちません。
「パイオニア・ガール」でも同じです。
けれども、出版された「この楽しき日々」では、ローラがアルマンゾに告げたその週にブルースター夫人が包丁を振りあげる事件がおきて、その週末は厳しい寒さの日となり、アルマンゾが迎えに来るかどうか、読者がドキドキしながら話が進んで行きます。ワイルダーは文学的効果を狙って、話を創り変えたのです。
「小さな家」シリーズが「本当の話」と信じられていた1970年代、ある研究者はこういった違いを一つ一つ探り出して、「小さな家」が創作であることをつきとめました。
刊行以来、「小さな家」が「本当の話」と四十年以上も信じられていたのは、あの作品が神聖視されていたからです。神聖化された「小さな家」は、
1.「小さな家」は本当の話、
2.「小さな家」のローラと作家のローラは同一人物、
3. 本当の話だから「小さな家」はアメリカ史
という三つの神話に包まれていました。どれも虚偽に過ぎません。
現在、あの作品は創作であると学術的に認められていますが、その神話はアメリカ人の心の中に脈々と生き続けています。
日本でも「本当の話」「同一人物」の神話は読者の間に根強いようですが、アメリカ人とは別の理由からのように見受けられます。