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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2014年3月29日土曜日

PG50 ブラウン夫人

ローラは自分たちの結婚式をあげてくれたブラウン牧師を、不潔で、品がなく、だらしないと嫌っていました。「パイオニア・ガール」によると、ローラはブラウン夫人も好きではなかったようです。教会の出版物の原稿を書くのに忙しくて、身なりにかまわず、家の中も雑然としていると、否定的に描いています。

けれども、後年、農業紙に掲載されたワイルダーのエッセイは、ブラウン夫人の家事能力や身なりを否定的に書きながらも、「文筆家だった夫人は原稿執筆に忙しかったので、一見しただけで判断はできない」といったようなことを、たしか述べていたような気がします・・・・・。


「小さな家」のかあさんは、いつもローラとメアリーに、ファッショナブルではないけれど、きれいに洗濯した服を着せていました。実在のワイルダーも、マンスフィールドのダウンタウンへ出かけるときは、いつも「よそいき」のドレスを着て、きちんとしていたようです。
でも、ワイルダーの娘のレインと小学校で一緒だった同級生は、晩年のインタビューで、レインのことを「だらしなかった」と評していました。アメリカで出版されているものを読んでも、友人に忠告されるほどの浪費家でしたが、彼女はあまり身なりに構わなかったような印象を受けます。