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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2014年4月10日木曜日

PG56 ウィルキンス学校

「この楽しき日々」では、二級教員免許を取ったローラは、ウィルキンス学校で教壇に立つことになりました。下宿をしていたウィルキンスさん一家はいい人たちで、可愛い生徒にも恵まれて、ローラは心から楽しんでいました。
二級の教員免許をとったのは、「もっと大きな学校で、もっとお給料のいいところで教えたいから」と、ローラは説明しています。


でも、「パイオニア・ガール」によると、ウィルキンス学校で教えることになったのは、いろんな事情から高校を卒業ができなかったのと関係があったようです。
また、学校の生徒の一人は、もの覚えがわるく、ローラは相当な忍耐力を強いられました。オーエン先生が痴呆の真似をしている生徒を鞭打って正したのを思い出して、それをちらつかせたこともありました。もっともローラは鞭を打つと思うと、みぞおちが痛んだということですから、そんな気になれなかったようですが。それに、鞭打ちと聞いたとたん、その子は勉強に身が入るようなったので、その必要もありませんでした。


現在では体罰は禁止されていますが、「農場の少年」や「大草原の小さな町」には教師が生徒をむち打つ場面があります。アメリカの書評を読んでいると、体罰について警告していたり、体罰をのぞけば推薦できる本と書いてあるものをみかけるようになりました。なかには「時代遅れだ」というものも読んだことがあります。