2015年5月30日土曜日

PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。
フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ・ダウレィと結婚して、数人の子どもを設けました。1931年にデ・スメットを訪れたワイルダーとアルマンゾと再会したときには、「長い冬」の思い出話をしています。
彼女は夫を見送ってから数年後に、家族に見守られながら、1935年に79歳で死去。お墓はデ・スメットにあります。

「長い冬」に、アルマンゾと一緒に小麦を探しに行ったキャップの本名は、オスカー・エドモンド・ガーランドといいます。彼はフローレンスの弟で、1880年当時、15歳。ローラより二歳年上でした。最初、ローラはアルマンゾよりも、キャップに気になっていました。
 「長い冬」には、突然襲って来た猛吹雪の中を子どもたちが集団下校したときに、誤った方向へ行ってしまい、キャップが気づいて助けを呼びに行く話があります。これと同じ話は「パイオニアガール」にもみられます。
キャップは1883年に、デ・スメットの東にあるクラーク郡に姉妹と共に開拓農地を申請しましたが、1891年11月に二十六歳で、脱穀機の爆発事故で亡くなりました。

二人とも幼いときに父親を亡くし、母親は42歳のときに三人の子どもを連れてデ・スメットに移住。 母親は農婦と記録されていますが、下宿屋を開いて生計をたてていました。


フローレンスのお墓はこちらから
キャップのお墓はこちらから

2015年5月24日日曜日

PGH ジョージ・マスターズ DK11

ジョージ・マスターズは、「小さな家」シリーズでは描かれていませんが、「パイオニアガール」には幾度か登場します。彼はローラの学校の先生だったサム・マスターズの息子で、ネリー・オルソンのモデルの一人だったジェネヴィーブ・マスターズの兄弟です。「長い冬」のあった1880年当時、二十八歳で、鉄道会社が経営している店で働いていました。
妻のマギーは二十二歳で、両親はスコットランド人でした。インガルスは明朗なマギーは好きでしたが、父親にそっくりのジョージは、嫌いでした。

「長い冬」では、インガルスが家族だけで厳しい冬を乗り切ったと書かれていますが、実際には、ジョージとマギーも同居していました。

ジョージは西部の仕事へ行く途中、妻のマギーを置いて欲しいと頼むために、デ・スメットのインガルスの家へ立ち寄りました。  インガルスの家へ現れたとき、マギーは身重でした。彼らはできちゃった婚で、ウォルナットグローブで子どもを産んで、マスターズの家族に恥をかかせたくないという、マギーの配慮からデ・スメットへやってきました。彼らの息子アーサーは、長い冬が始まる前に、インガルスの家の二階で生まれました。取り上げたのはキャロライン・インガルスとガーランド夫人でした。キャップの母親です。彼はデ・スメットで生まれたいちばん最初の赤ん坊となりました。

冬が近づき、鉄道会社の仕事もなくなり、ジョージは引き上げるためにマギーを迎えにインガルスの家へ寄りました。そうしているうちに、あの長い冬が始まったのです。追い出すわけにもいかず、マスターズ夫妻と赤ん坊のアーサーは、インガルスの家で厳しい冬を過ごしました。

ジョージとの同居は不愉快だったようで、彼はとうさんの外仕事も手伝わず、沢地に干し草を取りにも行かず、干し草をよることもしませんでした。とうさんをはじめ、町の人々は、ワイルダー兄弟の家などに集まって、情報を仕入れたり、とりとめのない話で気を紛らわしていましたが、ジョージはいちばん暖かい場所に陣取って動こうとせず、食べものが乏しくなってもがっついて食べていました。こういう厳しい状況のとき人間が試されると、「パイオニアガール」は述べています。

「長い冬」にはマスターズは登場しません。なぜマスターズを省略したのでしょう?
マスターズを入れるなら、ありのままを書かなければならないし、そうすれば作品を傷つける。いい人に描くと、マンリーの好意を無駄にすることになるから、作品が面白くなくなると、ワイルダーはレインに説明しています。

ワイルダーはジョージにそうとう腹が立っていたようで、私だったら外に放り出すのに、とうさんはそうしなかった、とレインに話しています。そんなワイルダーの気持を代弁する記述が、「パイオニアガール」にみられます。
長い冬の間、次第に、皆、気が立っていました。そんなある日、ローラはジョージに「充分に温かくないと思うなら、干し草をよればいいでしょ。あたしは疲れているんだから」と言ったそうです。ローラらしいですね。







2015年5月18日月曜日

PGH インディアンの警告 DK10

「長い冬」にはインディアンが厳しい冬を白人に警告する話があります。七年ごとに厳しい冬がやってきて、二十一年目の冬がいちばん厳しい、その冬は七ヶ月続くと白人移住者に告げて、とうさんが噛み砕いて皆に説明するくだりです。
「パイオニアガール」には、とうさんの説明はありませんが、インディアンの警告の話は登場します。

この警告話はまったくの創り話ではないようです。「長い冬」に描かれている厳しい冬は1880-81年ですが、それ以外にも、先住民が天候の異変を警告する記録が、当時の新聞にいくつか残されているからです。1878年の一月のミネソタの新聞には、ミネソタに五十年近く住む混血のインディアンが、十二月は、これまででいちばん暖かかったと告げている記事があり、その三ヶ月後、老インディアンが六月と七月にミシシッピ河の氾濫で洪水になると予測していると、同新聞は報告しています。当時から先住民は、昔ながらの言い伝えや生活の知恵を、白人移住者とシェアしていたようです。


「小さな家」のインディアンの描写は、差別や偏見がしばしば問題になるため、ヒルは注釈をつけていて、以下のようにワイルダーを弁護しています。

「長い冬」の中でワイルダーは、インディアンに文法的に正しくない英語をしゃべらせているため、現代の読者には、先住民を軽んじているようにみえるかもしれない。けれども、とうさんは彼に敬意を示しており、インディアンの知恵と知性が強調されている。現在の読者にはステレオタイプのインディアンに映るかもしれないが、実のところ、それは肯定的にものごとを捉えるワイルダーの創造性によるもので、先住民を侮辱しているものではない。「ワイルダーは他の民族を画一的にみているという見解は、ある民族を否定的なステレオタイプにあてはめることに、ワイルダーが疑問を呈しているのを否定することになる」とドナ・キャンベルは指摘している。


1990年代はポリティカル・コレクトの時代で、「小さな家」に先住民の描写が問題になり、多くの人がワイルダーの弁護を試みました。ヒルの注釈はワイルダー側にたつ典型的な弁護の一つです。ヒルの主張はもっともで、ジョン・ミラーのいうように、ワイルダーの生まれそだった時代背景を考慮すれば、批判よりも、当時の差別や偏見にとらわれなかった彼女を賞讃するべきだというのも一理あります。


ただワイルダーを弁護している人々は、白人の枠組みの中でしかものごとを考えていない人が多いのも事実です。 彼らにとって西部開拓は「明白なる神意」であり、インガルスのように神の御心を遂行した者は善良なる人々です。アメリカの基盤となった西部開拓を否定することはありません。アメリカ建国そのものを否定することになるからです。
そこに先住民側の主張との食い違いがあります。ワイルダーを弁護する人々は、その食い違いに気づいていないか、目をそむけているか、中には関心のない人もいるようです。


もしも一般の読者や学者が、先住民の痛みがわかっていたのなら、あるいはわかろうとしていたなら、1990年代に先住民が怒りの声を上げる前に、先住民の視点から「小さな家」を読む努力をしていたと思うのです。そうしていたのなら、読者や学者によるワイルダーの弁護は十分に説得力があります。でも、そのように努力していた人々は、何人いるのでしょう?

 
先住民が怒りの声をあげても、彼らはワイルダーを弁護をするばかりで、自らの努力や配慮を怠っていた反省もみられません。学者も例外ではありません。そういった彼らの態度を糾弾した論文もあるほどです。
最近の若い世代のアメリカ人は先住民の視点も含めて「小さな家」を読もうと努めています。それは1990年代を経て大きく変わりました。その点は大いに評価するべきでしょう。 はたして先住民への配慮を怠ったってきた反省を、彼らが口にする日は来るのでしょうか? もしもその日が来たら、先住民側の怒りも少しは和らぐと思うのですが。


 先住民側が指摘するように、ワイルダーも白人の枠組みの中でしか「小さな家」を執筆していません。でも、そうするしかなかったのでしょう。西部開拓を否定したら、彼女自身の人生を否定することになるからです。そうすれば「小さな家」は執筆できませんでした。
ただ、その枠組みの中で、ワイルダーはささやかながらインディアンへの配慮をしています。現在の読者からみれば、物足りなさを感じたり、偏見や差別と映るかもしれません。でも、ワイルダーの生まれ育った1860年代後半〜80年代と、彼女が執筆した1930年頃のミズーリ州の時代背景を考慮すると(彼女はミズーリに暮らしていた)、時代の偏見や差別にとらわれない、しなやかな人物像が浮かんで来ます。


ワイルダーは先住民の苦悩を知識として知っていただけではなく、わかっていたように思えます。「もしも私がインディアンで、この地を立ち退かなければならなくなったら、白人の頭の皮をもっと剥いだだろう」と日記に記しているからです。
日記は公に発表するのとは違います。誰も見ない日記には本音しか書きません。


「パイオニアガール」のかあさんはインディアンを嫌っていないのに、「小さな家」のかあさんはインディアンを嫌悪する人物に書き直されています。日記に書かれたワイルダーの本音に気づいたとき、かあさんをそのように描いたのは、先住民差別への問題提起だったのではないか、と思うようになりました。     
注釈からはヒルがどのような考察を経て、先の結論に達したのかはわかりません。一部の読者や学者のように、「私の大切なローラを傷つけたくない」という、ただの自己防衛かもしれません。
でも、「小さな家」の否定的なインディアンの描写は、ワイルダーなりの民族差別への疑問提起だったととらえるのなら、「肯定的にものごとを捉えるワイルダーの創造性によるもので、先住民を侮辱しているものではない」というヒルの見解に同意します。


西部開拓のすばらしい体験を執筆しながらも、ワイルダーは彼女なりに良心の呵責を抱えていたのかもしれません。だから、「小さな家」の中で、大好きなとうさんを二枚舌に描いたのかもしれません。ある人々は、それを偽善と呼ぶでしょう。そう言われても仕方ないと思います。
ただ、ワイルダーは彼女のできる範囲内で、出来る限りのことをしたのではないでしょうか? もしもそうならば、現在の私たちよりも、先住民の立場に寄り添えって、遥か先を見据えていたといえるでしょう。 


2015年5月13日水曜日

PGH 干し草作り DK9

「長い冬」には、とうさんの干し草作りを手伝って良いか、ローラがかあさんに尋ねるくだりがあります。アメリカの女は畑仕事はしない、畑仕事をするのは外国人の女だけなので、畑仕事をして欲しくなかったけれども、とうさんが人手が必要なので、かあさんはしぶしぶ許可しています。
ところが、「パイオニアガール」では、ローラもかあさんも、とうさんの干し草作りを手伝っています。「長い冬」と「パイオニアガール」のかあさんには、大きな違いがみられます。


「大草原の小さな家」のかあさんは、丸太小屋を作る手伝いをするなど、伝統的な女性の仕事以外の仕事をこなしています。それなのに、なぜ「長い冬」のかあさんは躊躇しているのでしょう? 
変更の理由は明確ではないとしながらも、「畑仕事をするのは外国人の女だけだ」という記述によって、ワイルダーは開拓地の社会の在り方を描き、慣習にとらわれずに成長するローラを描きたかったのではないか、とヒルは推測しています。
けれども、当時、ヨーロッパ系アメリカ人の女性も、ヨーロッパ系移民の女性も、必要にかられて、あるいは自らの意志で、本来、男性の仕事とされる畑仕事に携わっていた、とも書き添えています。


また、「長い冬」では干し草の棒をよるのは、とうさんとローラだけですが、「パイオニアガール」では、かあさんもよっています。ワイルダーは干し草の棒は、厳しい冬を乗り切るためにあみ出された知恵だったように描いていますが、それ以前から、草原地方では使われていました。


原書の「長い冬」では、「外国人」はforeignersとなっています。初めて「長い冬」を読んだとき、この外国人というのがわかりませんでした。移民を指すと気づいたのはかなり経ってからです。昔、移民は外国人で、アメリカ人とみなされず、そういう意識が言葉に反映されているのかもしれません。最近はimmigrantという言葉を使います。今、移民をforeignerと呼んだら、差別という声があがって問題になる気がします。


「小さな家」のかあさんは、菜園を切り盛りしているから畑仕事をしていると思うかもしれません。でも、開拓時代、菜園は女性の仕事とされ、男性の畑仕事とは別と考えられていました。


「シルバーレイクの岸辺で」には、コットンウッドの若木を植える話があります。でも、「パイオニアガール」では若木ではなく、種をまいています。コットンウッドは成長が早いので、草原地方ではよく植樹されまた。かつてインガルスの開拓農地だった場所にコットンウッドの樹があって、ワイルダー協会はインガルスが植えたものと紹介していますが、アメリカ人のファンの間では疑問の声もあがっています。

2015年5月7日木曜日

PGH オルデン牧師 DK8

「シルバーレイクの岸辺で」でも「パイオニアガール」でも、ローラとメアリを「私の村娘たち」と呼んでかわいがってくれたオルデン牧師は、ある雪の日、ダコタ・テリトリーでインガルスと偶然、再会します。

エドウィン・オルデンは、1836年にバーモントに生まれ、ダートマス大学卒業後、メイン州の神学校へ進みました。アメリカ伝道協会に任命されて、1860年にはニューオリンズで、奴隷から解放された人々のための学校で働き、南北戦争後はバーモントへ戻って牧師になりました。その後、アメリカンホーム伝道協会から教会を創設するためにミネソタへ派遣され、1870年までにウォルナットグローブから百マイルほど離れたワセカに、妻のアナと三才の息子ジョージと暮らしていました。「プラムクリークの土手で」に描かれているように、オルデン牧師はウォルナットグローブやスリーピイアイなどの各地を廻って、礼拝を行っていました。


「パイオニアガール」によると、そのオルデン牧師がデ・スメットに教会を創設するためにやってくると、権限のないブラウン牧師が創設に取りかかっていたため、スキャンダルを避けるために、すべてをブラウン牧師にまかせて、デ・スメットをあとにしました。


 1885年の調査では、エドウィン・オルデンはデ・スメットから七十マイルほど北西にある町で、16歳の学生と共に暮らしていました。妻も子どももリストには記載されていません。けれども、1900年までにバーモントに戻って聖職につき、再婚しています。それから十年後に妻と娘と三人で、バーモント州のチェスターに移り、その一年後に七五歳で他界しました。



2015年5月1日金曜日

PGH ブラウン牧師 DK7

ホイト医師の例にもれず、医師のモラルが問われるのは、どこの国でもいつの時代でも変わりません。それは聖職者にも言えるようです。


ローラとアルマンゾの結婚式をあげたのは、ブラウン牧師でした。「小さな家」の中でワイルダーはブラウン牧師を好ましい人物に描いていませんが、「パイオニアガール」でも品がない、粗野だ、髪はぼさぼさ、爪も真っ黒で不潔だと、辛辣に描いています。


その理由の一つが、ブラウン牧師の嘘言にありました。彼がデ・スメットにやってきたとき、オルデン牧師からの紹介状を持っていて、この地で教会を組織するためにやって来た、と話していました。とうさんもかあさんも、オルデン牧師があんな人を寄越すはずがないと思いながらも、オルデン牧師の手紙を持っているので、組合教会と日曜学校の設立に協力しました。

ところがある日、そのオルデン牧師がデ・スメットに教会を組織するために現れたのです。オルデン牧師の話によると、ブラウン牧師が西部に開拓農地の申請に行くと聞いたので、親切心からとうさん宛に紹介状を書いただけで、ブラウン牧師はすでに退職しているので教会を組織する権限はありませんでした。
 けれども、オルデン牧師はことを荒立てたくないと、ブラウン牧師の好きにさせてデ・スメットを後にしました。

エドワード・ブラウンは、妻のローラ、養女のアイダと共にデ・スメットに移住して、1880年6月に第一組合教会を設立しました。学校の教師、弁護士を経て牧師となり、ウィスコンシン、オハイオ、ミネソタの教会を受け持ってからダコタへ移住。移住した当時、彼は六十五歳で、その四年後に退職して、1895年に亡くなりました。彼は奴隷廃止論者で処刑されたジョン・ブラウンのいとこだと言っていたそうです。

「小さな家」シリーズでも「パイオニアガール」でも、ローラはブラウン牧師の養女だったアイダと親しくしていました。でも、「パイオニアガール」では、ブラウン牧師とブラウン夫人のことを嫌いだと、はっきりと述べています。ブラウン夫人は教会関係の執筆活動をしていたこともあり、あまり家のことや身なりをかまわなかったようで、ワイルダーはあるエッセイに、ブラウン夫人のだらしなさについて書いています。


ブラウン牧師の墓はこちらから

2015年4月20日月曜日

PGH ボースト夫妻とオグデンさん  DK5

「シルバーレイクの岸辺で」では、冬が近づいて人々が飯場から引き上げてしまうと、インガルスとボーストさん以外、シルバーレイク周辺には人がいないかのように描かれています。でも、測量技師の家で暮らしていたとき、実在のインガルスは、同居人をおいていました。ウォルター・オグデンという二十五歳の青年で、東部に住む人に依頼されて雄牛の世話をしていて、一人で冬を越すつもりでした。でも、一人きりになりたくないので、インガルスに下宿させてほしいと頼んだのです。


「シルバーレイクの岸辺で」には、ボーストさん夫妻と楽しい冬を過ごした様子が描かれています。実在のボーストさんの奥さん、エラ・ペック・ボーストは、イリノイの生まれで、家族と共にアイオワに引っ越して、一八七○年にロバート・ボーストと結婚。ダコタ・テリトリーに移住したときは、二十八歳でした。若い頃からリューマチをわずらい、のちに車椅子の生活となり、一九一八年に六十七歳で逝去しました。子どもがいませんでしたが子ども好きで、しばしば、自宅で子どもパーティーを開いていました。「パイオニアガール」には自宅で子どもたちに囲まれている写真もあります。以前、この写真はデ・スメットのワイルダー記念館でも展示されていました。


「はじめの四年間」で、ボーストさんがローズを養女にしたいと持ちかけたと時、ローラとアルマンゾは断ります。それ以降、ボーストさんとの関係がぎくしゃ くしたのでは、と思いますが、「小さな家」にボーストさん夫妻と過ごした楽しい話がたくさん登場するので,ワイルダーが好意を抱 いていたとうかがえます。二人の想い出は実の子どもに受け継がれることはありませんでしたが、「小さな家」のおかげで、二人は今でも読者の心に息づいています。


 ロバート・ボーストはカナダの生まれで、一八七九年後半は三十歳ぐらいでした。夫妻はデ・スメットから一マイル東に開拓農地を所有していて、一八九八年に町に家を建てるまでそこで暮らしました。「この楽しき日々」には、ローラとアルマンゾが馬車のドライブの途中でボーストさんの家に寄って楽しい時を過ごす話も描かれています。ロバートはガーデニング好きで知られていて、デ・スメット公園の草木の手入れもしていました。「小さな家」に描かれているとおり、二人は生涯、インガルスと親交がありました。ロバートはエラが逝った三年後の一九二一年に他界しました。二人のお墓はデ・スメットにあります。

エラの墓
ロバートの墓


2015年4月14日火曜日

PGH 羊飼いの陶器の人形 DK4

シルバーレイクの飯場に着いたインガルスは、新しい掘立小屋で暮らし始めます。
そのときとうさんは、「陶器の人形を飾らないのかね」と「シルバーレイクの岸辺で」は、かあさんに尋ねていますが、「パイオニアガール」では尋ねていません。


羊飼いの陶器の人形は、「小さな家」シリーズの中で重要な役目を担っています。けれども、「パイオニアガール」には、陶器の人形はいっさい出てきません。
 今回、出版された下書き原稿の「パイオニアガール」だけでなく、ブランディッド版にもブランディッド改訂版にもバイ版にも陶器の人形は登場しません。


1943年にワイルダーは「陶器の人形はキャリーが持っています」と、子どもたちへの手紙に書いています。その言葉どおり、キャリーの他界後、遺品の中から陶器の人形が見つかって、それがかあさんの陶器の人形ではないかと言われています。その人形はブラックヒルズのミュージーアムに展示されていて、日本で刊行されている写真集には、その人形の写真が載っています。


人形の写真はこちらからご覧いただけます。けれども、この人形も謎に包まれています。


はたして陶器の人形は実在したのでしょうか? それともワイルダーとレインの創作でしょうか? もし実在したのなら、この写真の人形がそうなのでしょうか?





2015年4月8日水曜日

PGH ビッグ・ジェリー DK3

インガルスが馬車でダコタへ向かう時に、守ってくれたのがインディアンとの混血のビッグ・ジェリーでした。ビッグ・ジェリーは創作人物かと思っていたら実在の人物で、「パイオニアガール」にも登場します。

毛皮産業には、主にフランス人が関わっていたため、フランス人とインディアンの混血が大勢いました。もしも、 ビッグ・ジェリーがダコタやミネソタの出身なら、スー族か、スー族関連の部族か、オジブエ族の血をひいているだろう、けれども、ワイルダーは、彼はカナダ出身のフレッド・フィールズの義理の兄弟だと述べている、と注釈には書かれています。

 「パイオニアガール」によると、フレッド・フィールズは、鉄道の飯場でとうさんの仕事の手伝いをしていた男で、工夫で混雑するまかない場を嫌い、インガルスの家で食事をしていました。その彼の義理の兄弟がビッグ・ジェリーでした。とうさんとフレッド以外、飯場の連中は、気性の荒いジェリーを恐れていました。ジェリーとある男が対峙しているのを目にしたフレッドは、ジェリーが殺人を犯しかねないと一目散に走りより、二人の間に入って、ケンカをやめさせています。ジェリーは馬泥棒の疑いもかけられていました。

でも、ジェリーには別の顔もありました。「シルバーレイクの岸辺で」では、かあさんはインディアンの血をひくジェリーを嫌っていますが、「パイオニアガール」では心根の優しいジェリーに、インガルスの家族は、みな、好意を抱いていて、ジェリーはインガルスの家で、食事をすることもありました。ジェリーが病気のジョニーじいさんの看病をする話は、「パイオニアガール」にも見られます。

「シルバーレイクの岸辺で」では、とうさんが飯場の連中に給料の件で詰め寄られたとき、とうさんは銃をしのばせて、給料を隠しておくようかあさんに頼んでいました。このとき、ジェリーが現れて、とうさんは危機をしのぐことができました。でも、これは創作です。「パイオニアガール」では銃も給料もジェリーもありません。とうさんが連中に言い聞かせて、その場をしのいだのです。

フレッドは1880年当時27歳で、鉄道工事現場の監督を勤めていました。フレッドも彼の妻もカナダ出身で、子どもたちのほとんどがアイオワで生まれています。彼はハイラムおじさんが別の現場に移ったとき、一緒に行ったのかもしれないと、注釈に書かれています。
ジェリーはフレッドの義理の兄弟というなら、フレッドの妻も混血なのでしょうか? それに彼女がカナダ出身なら、ジェリーはどうなのでしょう? その点については、触れられていません。



 


2015年4月3日金曜日

PGH ウッドワース DK6

「シルバーレイクの岸辺で」には、飯場の最後のひきあげのときに、病気の治療に来ていたウッドワースという老人が登場します。肺病の治療のために、ダコタに大気療法をしにやってきた人で、病気のため骨と皮だらけなのに、ダコタでひと冬を過ごすつもりでした。とうさんは、東部には戻らないという彼を、家族のもとへ帰るよう説得します。

「大草原の小さな町」には、ローラはメアリ・パウワーと一緒に、ベン・ウッドワースの誕生日パーティーに行く話があります。ローラがはじめてオレンジを食べたパーティです。ウッドワース一家は駅舎に住んでいて、ベンの父親は駅長でした。
肺病にかかったウッドワースはベンの父親で、肺病から回復して、家族と一緒にダコタへやって来たのでした。

「シルバーレイクの岸辺で」では、ベンの父親のホレイス・ウッドワースは老人となっていますが、まだ五十代初めでした。十二歳のワイルダーには、病気だったせいか、年寄りに見えたのだろう、と注釈があります。
妻と子どもたちと一緒にウィスコンシンで暮らしていたとき、彼は牧師でした。イリノイに移ってから肺病にかかり、治療のために一人でダコタへやってきたのでした。

デ・スメットの開拓初期にやってきたウッドワースは、ブラウン牧師が来て教会がととのうまで、礼拝を行っていました。でも、あまり人が集まらなかったようなので、牧師よりも駅長さんの方が向いていたようです。

 ベンの父親の墓はこちらから

2015年3月31日火曜日

PGH トレーシーのホテルで DK1

とうさんが鉄道の仕事を得てダコタへ行った後、かあさんと娘たちは荷造りをして、すべてを売り払い、とうさんが送って来てくれた小切手で汽車の切符を買って、トレーシーへ向かいました。

初めて汽車にのってダコタへ向かうとき、「私たちは再び、最高の幸せをもたらしてくれる方角へ乗り出すのです」とワイルダーは述べています。

 「シルバーレイクの岸辺で」では、キャリーとローラが転車台をみたり、トレーシーのホテルでインガルスは他の客と一緒に食事をしたとなっていますが、「パイオニアガール」ではそのシーンはありません。それにトレーシーのホテルは、手入れもされず、流行っていませんでした。

ホテルのご主人によると、かつては彼の妻と妻の妹がホテルを切り盛りしていたそうです。そのご主人と妻、幼い双子の息子たち、妻の妹と恋人で馬車のドライブに出かけとき、雷落雷に遭い、生き残ったのはご主人と幼い双子の息子たちだけで、ご主人には身体に麻痺が残り、幼い息子たちも、しばらくは遊ぼうともしなかったそうです。雷の落ちた金時計には、穴があいて、中は融けていました。落雷の話は、「この楽しき日々」の竜巻に巻き上げられた男の子の話を彷彿させます。

かあさんたちは、とうさんとそのホテルで落ち合い、翌朝、朝食をとってから、とうさんの荷馬車でハイおじさんのいる鉄道のキャンプへと向かいました。


新しい仕事が決まったら、パッと何もかも売り払って、違う土地に移るインガルスの身軽さは羨ましいです。でも、かあさんは出来ることなら、落ち着いた生活がしたかったのでしょうね。



2015年3月27日金曜日

PGH いとこのレナ DK2

「シルバーレイクの岸辺で」によると、ドーシアおばさんはやもめと結婚して、いとこのレナとジーンは彼の連れ子になっています。でも、ほんとうはドーシアおばさんの最初のご主人との子どもでした。ドーシアおばさんは、「大きな森の小さな家」では若い独身の女性になっているため、ワイルダーはいとこたちを連れ子に変えたのです。
実在のドーシアは離婚して、ハイおじさんと再婚。レナとジーン以外に、三人の子どもがいました。

「シルバーレイクの岸辺で」では、ローラはポニーに果敢に飛び乗って遊んでいますが、「パイオニアガール」では、馬に乗ったことがないので怖いと、飛び乗りはしていません。でも、二人で洗濯物を取りに馬車を走らせたときは、楽しかったようで、ほんとうに楽しんでいるのは、馬か自分たちかわからないと述べています。


洗濯物を取りに行ったとき、ローラたちとたいして歳の変わらない、十三歳の女の子が結婚した話を聞いて、二人がギョッとする話は「パイオニアガール」にも登場します。まだ結婚なんかしたくない、誰かに責任をとってもらいたい、と述べていたワイルダーは五年後に十八歳で結婚。ワイルダーより一つ年上のレナは、二十二歳で農夫と結婚。七人の子どもをもうけて、ネブラスカに落ち着きました。


レナとローラは牛の乳をしぼるときに、いつも歌を歌っていましたが、レナが家族と一緒に飯場から去ってしまうと、ローラは一人では歌をうたう気になりませんでした。
ローラが一人でしぼった乳を持って帰ると、かあさんは「乳が少なくて困る」と、よくこぼしていました。ところが、ある日、ローラが歌をうたいながら乳をしぼると、たくさんの乳を出したのです。それ以来、歌をうたうとたくさんの乳を出すけれども、歌わないと少ししか出さないのに、ローラは気づきました。

それから五十年近く経って「パイオニアガール」を執筆していたら、「ラジオをかけながら乳をしぼるとたくさんの乳を出す」という話を偶然聞いて驚いた、と述べています。


「長い冬」では、盲学校行きを希望するメアリに、そっと二十ドルをしのばせたのは、謎の男エドワーズさんでした。でも、「パイオニアガール」では、レナの継父だったハイラムが飯場を去るときに贈ってくれたとなっています。エドワーズさんのエピソードは、ハイラムをモデルにした創作だろうと注釈がついています。

実はメアリだけでなく、かあさんも現金の贈り物をもらったことがあります。鉄道の飯場を去る予定だったアイルランドの家族は、赤ん坊が病気になって、出て行かれなくなりました。ところが、かあさんが赤ん坊の看病してあげたら良くなったので、両親は支払いを申し出ました。でも、かあさんはお金を受け取ろうとはしませんでした。
そして飯場を去る朝、挨拶にやってきた父親は、かあさんと握手をしたときに五ドルを握らせたそうです。

かあさんらしい、とても良いエピソードです。削除されてしまって残念です。 








2015年3月24日火曜日

PGH ホイト医師 WG

メアリーが失明したとき、診てくれたのがホイト先生でした。ホイト先生は「小さな家」にはまったく描かれていませんが、「パイオニアガール」には何度も登場します。
このホイト先生、うさん臭い人物だったようで、医師のモラルが問われるのは、いつの時代でも、どの国でも変わらないようです。

バーオークのホテルには、マスターズ家の甘やかされた年頃の娘がいて、婚約していたホイト先生を誘惑して性的な関係を持ち、結婚しました。先生が婚約していたのは、ローラを養女にしたいと言って来たスター夫人のお嬢さんで、スター夫人のご主人も医師でした。けれども、その五ヶ月後、ホイト医師の妻は内臓疾患で亡くなりました。性的な関係が原因だったと言われています。ローラはとうさんがかあさんに、「先生を奪ったりしなければ、こんなことにならなかったのに」ともらしているのを耳にしています。

「パイオニアガール」は、ホイト先生は奥さんを使って何かの実験していたとも述べています。

マスターズ家にはアルコール中毒のウィルがいました。バーオークのホテルのドアに、銃をぶっぱなした人物です。酒場から遠ざけておくために、父親がウィルをウォルナットグローブに連れて来たのに、ホイト先生はウィルに酒を勧めていた、財産を狙っていたのでは、と「パイオニアガール」は記しています。

注釈によると、そのホイト先生は、妻がなくなってひと月後にほかの女性と結婚しました。ホイト先生の履歴書には、短かった結婚についても、スター医師のもとで見習いをしていたことも触れていませんでした。

 ワイルダーはホイト先生を好ましい人物には描いていません。ホイト先生がメアリを診たとき、ワイルダーはどんな思いだったのでしょう? 

マスターズの娘が先生を誘惑したとき、ワイルダーはまだ小学生でした。ホテルで働いていたといえ、小学生が性に関する大人の醜聞を詳細に知っていたことに、何よりも驚かされます。





2015年3月18日水曜日

PGH メアリの失明 WG4

「パイオニアガール」には、メアリーの失明についてこのように書かれています。

メアリーが突然、頭痛を訴えて瞬く間に病状が悪くなり、一時はもう回復しないのではないかと思われた。メアリは高熱におかされてうわごとを言っていたので、かあさんは涼しくなるようにと長い髪を切ってしまった。ある日、メアリーの顔をみると、発作のため片側はひきつれていた。(かつて暮らしていたウィスコンシンの家の前には二本のオークの樹があった。一本はローラの樹で、もう一本はメアリーの樹だったが)、メアリーの樹は雷にうたれてしまった。メアリーのひきつれた顔は、そのウィスコンシンの樹を思い起こさせた。発作の後、メアリーは回復に向かったが、眼がよく見えなくなった。ホイト医師とウェルカム医師に診てもらったけれども、発作によって神経がおかされてしまい、どうすることも出来ないと言われた。メアリーの病気には長い名前がついていた。十分に回復しなかったはしかが原因だった。メアリーが回復するにつれて、視力は弱くなり、とうとう何も見えなくなってしまった。最後にメアリの見たものは、椅子につかまってメアリーを見上げている、グレイスの青い眼だった。

注釈によると、1879年4月29日付けのレッドウッド・ガゼットという地元の新聞がメアリーの症状を報告しています。「ひどい頭痛を訴えて十日間ほどふせっていて、脳出血を起こしたようで、顔の片側に麻痺している」
三週間たってもメアリーは回復しませんでした。でも、6月12日付の記事は、「ゆっくりと回復に向かっていて、視力も良くなっている」と報告しているので、一時的には視力も良くなったようです。けれども、6月26日付けの記事は「健康を取り戻しているが、視力は回復せず、はっきりとものが見分けられなくなっている。昼と夜の違いはわかるが、このかすかな視力も落ちている」

「パイオニアガール」には、「ウェルカム医師がメアリーを診た」と書かれていますが、注釈には、インガルスの要請を受けてウェルカム医師が来たのかどうかはわからないとあります。ウェルカム医師は親子で医者でした。父親の方は鉄道会社の外科医で、ときおりウォルナットグローブにも立ち寄っていたので、そのときに診た可能性もあるのでは、と推測しています。


チャールズ・インガルスとキャロライン・インガルスは、メアリの視力を回復させるために全力を尽くしたようで、「メアリーをセントポールへ連れて行く予定である。まったく見えなくなってしまったが、彼女は辛抱強く、それを受け入れている」と新聞は記しています。

1937年、ワイルダーはレインに、「あとで聞いたところによると、シカゴの専門医に診てもらったとき、視神経が麻痺しているので、直る見込みはないといわれたそうよ。医師に診てもらうにはお金がかかるでしょう? 医療費にいくらかかったのか知らないけれど、鉄道で働いていたとうさんは、医師への支払いのお金を家に送って来たの」と話しています。

「シルバーレイクの岸辺で」では、ドーシアおばさんがとうさんに、鉄道会社の仕事の話を持ちかけたとき、かあさんは反対しています。けれども、「パイオニアガール」では賛成しています。なぜ賛成したのかは描かれていません。でも、その仕事を受ければ、医師の支払いが出来るからではと、注釈がつけられています。


 ワイルダーはレインに、「メアリーは脊柱か何かの病気があった」と話していますが、現代の専門医は、メアリーの病気は、はしかやしょう紅熱によるものではなく、ウィルス性の脳炎だったと結論づけています。しょう紅熱では失明しないのも解明されています。


「シルバーレイクの岸辺で」では、メアリーの失明はしょう紅熱になっています。実際にワイルダー とメアリー・インガルスは1874年にしょう紅熱にかかっていました。でも、ワイルダーとレインの間で交わされた手紙などを検証した結果、ヒルは「しょう紅熱にしたのは偶然からではないか」と推測しています。メアリの失明をどう描くか話し合っていたとき、レインの手紙にこう書かれているからです。
「それはたいへんな時だった、グレイスが生まれて、ジャックが死に、メアリーが病気になって、・・・しょう紅熱だっけ? どれもプラムクリークの巻とこの巻との間に起きたのよね」

しょう紅熱は「若草物語」などでも知られているため、ワイルダーとレインは、はしかよりも良いと判断したのではないか、とヒルは推測しています。






2015年3月15日日曜日

PGH 雪合戦 WG3

冬になって学校が始まると、弁護士のソープさんが新しい先生になりました。弁護士の仕事があまりないので、先生になったのですが、良い先生だったようです。

その冬は雪が深く、休み時間になるとローラは、男の子たちと雪合戦をして遊んでいました。乱暴な遊びに反対だったメアリが、止めさせようとしても、ローラはおかまいなしでした。
そこである日、メアリはローラの結っていない髪を両手でつかみ、 外へ行かせないようにしたのです。するとローラは、首にぐっと力を入れて、髪をつかんだままのメアリを外へ引きずり出しました。そのとたん、メアリに雪が命中して、ローラの髪を放したのだそうです。
メアリに話を聞いたかあさんは、もう十三歳になるのだから、もっとレディらしくしなさいといわれて、雪合戦はおしまいになった・・・と「パイオニアガール」は述べています。


ローラとメアリの間には、性格の違いからいつも確執がありましたが、「小さな家」ではここまで激しくは描かれていません。「パイオニアガール」では大人になることへの抵抗が、「小さな家」よりも強調されている、とヒルは述べています。


それにしても、いくら反対とはいえ、妹の髪をひっつかんで放さないのが、果たしてレディといえるのかどうか・・・? 二人のケンカなんて、すさまじかったような気がします。 かあさん、たいへんだっただろうな。




2015年3月13日金曜日

PGH マスターズ WG2

インガルスが経営していたバーオークのホテルの扉には、弾丸の跡がありました。以前の所有者だったマスターズさんの息子のウィルが酔っぱらって、逃げる奥さんをめがけて銃をぶっぱなしたからです。そのマスターズさんはウォルナットグローブに移住して、ホテルを経営していました。ウィルも一緒でした。

このマスターズ家は、かなりやっかいものだったようで、「パイオニアガール」にはさまざまなエピソードがあります。

マスターズさんの兄弟の、サム・マスターズはローラたちの学校の先生でした。先生は背が高くひょろっとしていて、息も臭く、頭も禿げていました。その先生には、いやらしい癖がありました。話す時に顔を近づけて来て、女の子の手を握ってなでまわすのです。
あるとき、先生はローラの手をとりました。ローラは握っていた針をすばやく上に向けました。それからは、ローラの手を握ることはなかったそうです。


ネリー・オルソンは三人の実在の人物を基に創り上げた創作上の人物です。そのうちの一人はネリー・オーエンズで、もう一人は、サム・マスターズ先生の娘ジェネヴィーブ・マスターズでした。 彼女はいつもきれいなドレスを着ていて、ニューヨークから来たからと、ほかの女の子たちを見下していました。舌足らずのしゃべり方をして、自分の思い通りにならないと、泣きわめいたり、うそ泣きをするので、ネリー・オーエンズ以外の女の子たちは、彼女のごきげんをとるのに必死だったといいます。


ジェネヴィーブ・マスターズはニューヨークの生まれで、ワイルダーと同い年でした。ダコタ・テリトリーのピエールでカレッジに行き、卒業後は教師をしていました。一八八八年に会計士のウィリアム・レンウィックと結婚するとシカゴへ移住。不幸にも 四十一歳という若さで他界しました。お墓はデスメットにあります。

「パイオニアガール」にはジェネヴィーブの写真も載っています。女優さんのようにあか抜けた美しい女性で、男たちの熱い視線を浴びていたに違いありません。今なら芸能プロダクションからスカウトされるかもしれません。そのくらい綺麗な女性です。
 「パイオニアガール」では、村の女の子の容姿について、茶色い眼だったとか、美しい髪をしていたとか、いろいろ書いてあります。ところが、ジェネヴィーブの容姿にはひと言も触れていません。 その沈黙に、ワイルダーの「女」の部分を感じとってしまうのは、私だけでしょうか?

ジェネヴィーブのお墓はこちらから。

2015年3月9日月曜日

PGH ウォルナットグローブへ WG1

夜逃げしたインガルスは、ウォルナットグローブへ戻ると、とうさんが新しい家を建てるまで、組合教会の教会員だったエンサインさんの家に、同居することになりました。
エンサイン家には、三人の子どもたちがいて、一八七七年当時、いちばん下のハワードは九歳ぐらいでした。

ハワードはローラに気があったらしく、大きくなったら結婚して欲しいと、ローラにプロポーズしました。ローラはしばらく真面目に考えていましたが、ある日、ローラが別の男の子と遊んでいたら、ハワードが泣き出してしまいました。そのときローラの答えが決まりまったそうです。「No!」
 

とうさんが家を建てると、一家は新しい家へ引っ越しました。エンサインとの同居は楽しかったけれども、グレイスが泣いても家族だけなら気を使わなくても良かったからです。

とうさんは家を建て終えると、町に家を借りて、肉屋を始めました。どの家も保存しておいた肉を使い切ってしまったので、とうさんの肉屋は繁盛したようです。
当時、夏の間、鶏肉以外の肉はなかった、肉をとっておけないため、誰も豚や牛を屠殺する人たちがいなかった、とワイルダーはエージェントに説明していました。説明しなければならなかったということは、「パイオニアガール」の執筆時には、あのころの生活がすでに遠くへ過ぎ去ってしまっていたことを意味します。

 「大きな森の小さな家」には屠殺のエビソードがあります。ブタの膀胱を風船代わりに遊んだり、火であぶったブタのしっぽをハフハフいいながら食べたりと、楽しい想い出が綴られています。でも、この話は「パイオニアガール」にはありません。
でも、「はじめの四年間」の屠殺のエピソードでは、自分が屠殺するのとかあさんを手伝うのとは違うと書いているので、「パイオニアガール」に書かなかっただけで、実際には体験していたのでは、と思います。




2015年3月5日木曜日

PGH 夜逃げ IW4

新しい町が好きだったとうさんは、バーオークを、鉄道もない死んだような町だと思っていました。経済的にも苦しく、西部へと帰りたかったけれども、借金をすべて払ってしまうと、お金が残りませんでした。そこで大家のビスビーさんに、後で送るから家賃をまってくれるように頼んだところ、聞き入れてもらえず、もし家賃を払わないなら、馬を取り上げて、それを売って家賃の代わりにするとまで言われました。

 激怒したとうさんは、「今までどんな借金もちゃんと払って来たが、老いぼれの成金ケチ野郎には、ビタ一文払うもんか」と夜逃げすることにしました。以前、一緒に働いていた人が雌牛を買ってくれて、手を差し伸べてくれたのです。
 子どもたちが夜中に起こされると、すべての用意が整っていました・・・・と下書きの「パイオニアガール」ではなっています。


けれどもバイ版の「パイオニアガール」では、夜逃げを正当化するように手が加えられています。法的にはビスビーさんが有利で、もしも家賃を払わずに去ると、とうさんは逮捕されてしまう、するとスター夫妻がローラを養女に欲しいと言って来た、と養女のエピソードがここに組み込まれています。その結果、家族がバラバラにならないように夜逃げをしたと、とうさんを弁護するようになっています。


「小さな家」のとうさんは、いつも家族を守る、頼りがいのある男に描かれていますが、「パイオニアガール」を読むと、実在のチャールズ・インガルスは、経済的に家族を支えるのも難しかったのがわかります。 
日本でドラマが大人気だったころ、たしか有名な評論家の対談だったと思いましたが、
「大草原の小さな家の父親が理想だという声をよく聞くけれども、『ああいう強い男であれ』というのは、弱い男たちにとってしんどいものだ」
と述べていました。


ネットで検索していると、「小さな家」のインガルスが理想の家族という女性の声をよく見かけます。また、最近の日本の女性たちは、専業主婦志向が多いとも聞きます。彼女たちは「パイオニアガール」の経済力のないとうさんをどう評価するのでしょうか?


経済力のない夫や父親を責めたりせずに、自分も働いて、共に家族を支えていたキャロラインやローラは、自立した女性だなと思います。 




2015年3月1日日曜日

PGH スター夫人 IW3

ある日、ローラが学校から戻ると、隣人のスター夫人がかあさんと話をしていました。スター夫妻には二人の娘がいましたが、二人とも大きくなって家を離れてしまい、夫人は寂しくてたまらないから、ローラを養女にくれないか、そうしたら娘のように可愛がるから、という話でした。夫人の夫は医師でしたから、経済的にはインガルスよりも余裕のある生活をしていたはずです。でも、かあさんが微笑みながら、ローラなしではやっていかれません、と告げると、夫人は肩を落として帰って行ったそうです。


バイ版の「パイオニアガール」では、このエピソードに下記が付け加えられています。
「ローラは安心した。でも、それ以来、スター夫人のことを想うと奇妙な感情におそわれた。とうさん、かあさん、メアリ、キャリー、グレイスがいなければ、自分はローラ・インガルスという自分自身でいられなくなってしまうというものだ。夫人が自分を家族から引き離そうとしたことを、できるだけ早く忘れてしまいたいたかった」
 ワイルダーがほんとうにそう思ったのか、それとも話を面白くするためにつけ加えたのか、わかりません。注釈には何も書いてありません。


でも、 「はじめの四年間」でボーストさんに娘のローズを馬と交換して欲しいと頼まれたとき、ワイルダーは、あのときのかあさんの気持が、心から理解できたでしょう。




2015年2月26日木曜日

PGH はしかとしょう紅熱 IW2

バーオークに移ったインガルスは、ホテルの経営にたずさわりました。ウォルナットグローブからの知り合いのステッドマン夫妻との共同経営でした。夫妻にはジョニーとルーベンという二人の男の子がいましたが、良い遊び相手ではありませんでした。とくにジョニーは生まれつき足が悪かったので甘やかされていたからです。
学校から帰ると、ローラとメアリはお皿を洗ったり給仕をしてかあさんを手伝い、ステッドマンの奥さんに頼まれて、面倒なトミー・ステッドマンのお守りもしました。お守りをしてくれたら、クリスマスのプレゼントをくれると約束したからです。


でも、クリスマスはがっかりでした。とうさんもかあさんも忙しくて、ステッドマンの奥さんはプレゼントをくれなかったからです。おまけにクリスマスのあと、 ローラとメアリとルーベンは、はしかになってしまいました。二人がおとなしく寝ていると、ジョニーがこっそりやってきて、枕を引き抜いたりつねったりしました。そのうちジョニーもひどいはしかになってしまい、ローラは嬉しかったと綴っています。

一八七六年の秋にはしかが流行して、ワクチンのなかった当時、肺炎や下痢などを併発しました。「シルバーレイクの岸辺で」の執筆中、ワイルダーはメアリの失明について、「完治しなかったはしかが原因だ」とレインに説明していました。

けれども、原作ではしょう紅熱になっています。何かで読んだのですが、当時、しょう紅熱はよくみられた病気なので、子どもでもわかりやすいように変えたのではと、その執筆者は推測していました。

現代医学では、はしかや猩紅熱が原因で失明することはないとされています。メアリの失明は脳炎によるものだと専門家は結論づけています。

 その専門家は、たしか三〜四人の小児科医のチームだったと思います。 なぜ、彼女たちがメアリの病気の原因を調べようとしたのかは、しょう紅熱にありました。
病気の子どもを診察して、子どもの親に「しょう紅熱です」と告げると、メアリの失明を思い出して、子どもが失明すると思ってパニックになる親が多かったそうです。しょう紅熱で失明することはないと説明しても、不安をぬぐいきれない親が多かったのでしょう。そこでチームを組んで、きちんとメアリの失明の原因を探ったそうです。

アメリカにおける「小さな家」のインパクトは、大きなものがあるのですね。



2015年2月22日日曜日

PGH リード先生 IW1

バッタの襲来に遭ったインガルスはウォルナットグローブを去り、バーオークに移住して、ホテルに経営にたずさわりました。

バーオークでローラたちが通った学校の校長先生はウィリアム・リードという男の先生で、「パイオニアガール」では二十一歳となっていますが、実際は十六歳でした。
リード先生は一八六十年にアイオワで生まれ、教育免許を取得してまもなく、バーオークで二年あまり教えました。新米の先生でしたが、とても良い先生だったと記録が残っています。その後、アイオワの別の学校で教えてから、一八八三年にダコタ・テリトリーへ移住。そして、アイオワに戻ると教え子の一人と結婚して、九十二歳でミネソタで亡くなりました。
リード先生は想い出深い先生だったようで、晩年ワイルダーは先生に教えてもらったことを感謝していると、あるエッセイに綴っています。

リード先生のお墓の写真はこちらから

「パイオニアガール」には、そのリード先生が生徒の一人を学校から追い出す話があります。農閑期には、学校にケンカ好きの連中がやってきて、クリスマスまでに先生を追い出すと公言していた、なかでも手がつけられないほどワルだったのが、モーゼだった、
ある日、彼らはそろって遅刻して来て、授業を妨害しはじめた、リード先生がモーゼに前に来るようにいうと、ケンカする気満々で先生の前にたった彼を、先生はすばやく自分の膝に倒して、幼い子どもにするように、ものさしでお尻をペンペンした、
教室は笑いの渦となり、笑い者となったモーゼは二度と学校に戻ってこなかった、他の連中も寄りつかなくなり、教室は静かになった、モーゼの噂は村中に知れ渡り、モーゼはバーオークからも出て行ったという話です。

ワイルダーの夫アルマンゾの少年時代を描いた「農場の少年」には、アルマンゾの先生だったコアーズ先生が、授業を妨害する生徒を鞭でたたきのめして追い出す話があります。その生徒は学校に来なくなり、悪さをするほかの連中も来なくなって学校が静かになったというエピソードで、リード先生の話と良く似ています。
ヒルは「こういう話はよくあったので、ワイルダーは自分の体験を「農場の少年」に使ったのではないか」と推測しています。

2015年2月16日月曜日

PGH バッタの救済と出稼ぎ MN8

インガルスがミネソタへ移住した一八七四年、ミネソタ南西部がバッタに襲われ、多くの人々が出稼ぎに行かなければならなくなりました。とうさんもその一人でした。ウォルナットグローブには鉄道が通っていましたが、多くの人々が運賃を払えないため乗車できず、ある人はミネソタ知事に、取り計らってくれるよう直訴しています。
下書きの「パイオニア・ガール」では、 「とうさんは外套を肩にかけて歩いて行った」、バイ版では「切符が買えないので歩いて行った、馬を飼っておく余裕もなかった、馬を売ったわずかなお金がかあさんに残された」となっています。

下書きの「パイオニア・ガール」では、「とうさんから幾度か手紙が来てお金も送られて来た」とシンプルに記してあるだけで、「プラムクリークの土手で」のように、かあさんがブルブル震えながら封を切ったり泣き出すくだりはありません。

実在のインガルスは生活に困窮していたため、一八七五年十一月末、政府の救済制度に申請して、五ドル二十五セント相当の小麦粉を受け取っていました。ヒルは「ワイルダーは幼かったので、気づいていなかったのでは」と推測 しています。
でも、ほんとうにローラはきづいていなかったのでしょうか? 

「プラムクリークの土手で」でも、下書きの「パイオニアガール」でも、バッタの襲来後、とうさんは翌年のためにわずかながらの小麦をまいていました。これも政府からの配給の種麦らしい、とヒルは「パイオニアガール」の記述から推測しています。記述から推測したというなら、それを書いたワイルダーは配給種麦について知っていたはずです。だったら、配給小麦についても知っていてもおかしくないと思うのですが。

 インガルスはメアリの盲学校進学にあたり、政府から財政的な支援を受けていました。今回の調査で、バッタの救済支援を申請していたことも明るみに出ました。保守派のワイルダー研究者や、福祉政策に反対するティーパーティは、政府に頼らない「小さな家」シリーズの独立自尊の精神を賞讃してきました。彼らはこの事実をどう受け止めるのでしょう?そして、政府の援助を受けていたワイルダーは、なぜ事実を隠してまで、「小さな家」のインガルスの独立を強調しようとしたのでしょうか?

 オバマ政権下の、保守派による「小さな家」の捉え方は下記をご覧下さい。
オバマ政権下の「小さな家」
  




2015年2月14日土曜日

PGH 駆け落ち、不倫、酒、暴力 MN7

「パイオニア・ガール」ではインガルスが独立記念日の式典に出席するくだりがあります。

フライドチキン、バタつきパン、レモンパイをバスケットに詰め込んで、よそいきの服を着込んで、一家そろって出かけました。退屈な挨拶や演説が済むと、皆で歌をうたい、そのあと真っ白なドレスに身をつつんだ美しい女性と、甘い声の素敵な男性が舞台にあがりました。二人はお互いにみつめあいながら交互に歌い、すばらしい歌声を披露しました。
 それから、数日後、ローラはとうさんがかあさんに話しているのを耳にしました。
「あのカップルが一緒に逃げたそうだよ」
そして「彼らはなぜ逃げたのか、何から逃げたのか、あたしは不思議に思いました」と結んでいます。

注釈には、駆け落ち/不倫だったのだろうとあります。 「パイオニア・ガール」は大人向けに書かれたものですが、最後のローラの言葉は子どもの視点から描かれています。それは誰もが持っていた子どもの頃の無邪気さを強調していて、作品にユーモアを添え、失ってしまったものへの郷愁を誘うと、注釈者のヒルは添えています。

こういった類いの話は「パイオニアガール」にはいくつも出てきます。
ウォルナットグローブの雑貨店で働いていたジョン・アンダーソンが、ティーニー・ピーターソンと不倫をしていて奥さんのアナが悲しんでいた、あたしはアナが好きだったから悲しかった、でも、ティーニーは町から出て行ったから元どおりになった、という話もあります。でも、ティーニー・ピーターソンの在住記録はなく、ジョン・アンダーソンの奥さんの名前もアナではありません。ワイルダーの記憶は確かではありませんでした。

以前、バイ版の「パイオニア・ガール」を紹介したときにも書きましたが、幼いワイルダーは大人の世界を垣間みていて、「小さな家」シリーズのローラのように無邪気そのものではありませんでした。「パイオニアガール」からは、複雑な男と女の関係や理不尽な社会の現実を、ドアのすき間からみていたローラが見えてきます。子どもの生々しい成長をみるようで、私にはそちらの方が興味深いです。


 「パイオニアガール」には、バーオークでインガルスが暮らしていたホテルの扉には、以前、酔っぱらったホテルのオーナーが、逃げる女房に向かって撃った弾丸の跡があった、ホテルの酒場で飲んでいた男がタバコに火をつけると、口のあたりの気体に引火して炎が喉に飛び込んで行き、彼は一瞬のうちに亡くなった、といった話もあります。この話はすでにゾカート著「ローラ・愛の物語」に詳細に記されて、日本でも紹介されていますから、べつだん、新しいものでもありません。


 アメリカで「パイオニア・ガール」は好評で、いくつものレビューを目にします。けれども、ここにあげたようなゴシップ的な箇所を強調しているメディアも多く、女性週刊誌のようにセンセーショナルに報じているものも目にします。新聞のタイトルだけみると、「ほんとうのインガルスは理想の家族ではなかった」、「とうさんは暴力をふるい、駆け落ちしたらしい」と勘違いしてしまいそうです。「パイオニア・ガール」のレビューを追っていると、マスコミはこんな風にゴシップを作って行くんだな、としみじみ思います。
「パイオニアガール」は注釈つきの読みものではありません。かなり詳細な学術書です。それにもかかわらず、アマゾンでトップセラーになったのは、 アメリカにおける「小さな家」の重みだけではなく、ゴシップ的なレビューにも影響されているような気がします。







2015年2月13日金曜日

PGH クリスマスのケープと教会の鐘 MN6

「プラムクリークの土手で」で迎えたクリスマスで、ローラが毛皮のケープ(cape)とマフをもらう話があります。ローラのケープはネリー・オルソンのよりきれいで、ネリーはマフをもっていなかったので、ちょっぴり胸がスッーとしたというくだりです。
「パイオニア・ガール」でローラがもらったのは、肩かけ(collar or tippet)でした。言葉にならないくらい嬉しかった、ローラはかあさんに促されてオルデン牧師にお礼を言ったと書かれています。ライバルのネリーは登場しません。

インガルスが通っていたのは組合教会で、チャールズ&キャロライン・インガルスを含む十四人のメンバーによって設立されました。その記念式典が一八七四年十二月二十日に開かれ、設立に協力した東部の教会の人々も多数出席しています。そのときにクリスマスツリーやプレゼントが飾られていたようです。ワイルダーが「プラムクリークの土手で」で描いたのは、そのクリスマスかもしれません。ただその頃、ウォルナットグローブでは毎年クリスマスツリーを飾っていたので、別のクリスマスかもしれないと、注釈がついています。

「プラムクリークの土手で」では、とうさんが教会の鐘のためにブーツの代金三ドルを寄付した話があります。「パイオニア・ガール」でも同じ話がありますが、金額は書かれていません。
ゾカートの伝記では「とうさんが寄付したのは二十六ドル五十セントだった」となっています。教会にはその記録が残されていますが、当時としてはかなり高額なため、「チャールズ・インガルスは管財人だったので、他の教会員の会員費も一緒に納めたのだろう。彼一人の献金ではないと思う」とヒルは述べています。

2015年2月11日水曜日

PGH ネリー・オルソン MN5

ローラの宿敵だったネリー・オルソンは、「プラムクリークの土手で」でも、テレビドラマでも、下書き原稿の「パイオニア・ガール」でも、似たような性格に描かれています。

「パイオニア・ガール」では、ネリーの名前はオルソンではなく、オーエンズとなっています。ネリーはワイルダーが創りだした創作上の人物で、三人の女性がモデルになっていて、ネリー・オーエンズはその一人です。
ネリーの父親ジェームス・オーエンズはニューヨークで生まれ、母親のマーガレットはカナダの生まれで、二人は雑貨店を営んでいました。ドラマではネルスとハリエットになっていますが、原作にはファーストネームが書かれていないので、ドラマのスタッフがつけたものでしょう。
 ネリー・オーエンズは一八六八年か六九年にミネソタで生まれました(国勢調査は六八年、墓石は六九年となっている)。ですから、ローラより二〜三歳下です。弟のウィリアムスはネリーの一歳下で、幼い頃の花火の事故で片方の目を失明しています。
一 家がいつミネソタを去ったのかわかりませんが、一九◯◯年までにオーエン一家はオレゴンに移住して農場を営み、ネリーはヘンリー・フランク・カリーと結婚、三人の子どもをもうけて、一九四九年に亡くなりました。ウィリアムズもオレゴンで結婚して、三人の子どもをもうけ、一九三四年にオレゴンのポートラン ドで亡くなりました。二人が「小さな家」を読んでいたのか、登場人物のモデルになっていると気づいていたか、残念ながら手がかりはありません。


「パイオニア・ガール」のミネソタの部分にネリーは登場します。話の大筋は「プラムクリークの土手で」と似たようなもので、学校帰りにローラとメアリーは、時々ネリーの家によって遊んだ、ネリーと弟のウィリーは素晴らしいおもちゃや絵本を持っていた、素敵な人形に触らせてもらえなかった、キャンディーを分けてくれなかった、ローラはネリーたちをわざとザリガニとヒルのところへ連れて行った、わざとやっているのに気づかないので、遊びに来るたびに同じ目にあった等々。「プラムクリークの土手で」ではオルソン夫人はきちんとした女性に描かれていますが、「パイオニア・ガール」では夫人への批判めいたひと言がみられます。


「プラムクリークの土手で」の町のパーティーで、ひとりぼっちのローラがマザーグースの本に魅せられる話があります。これもワイルダーの実体験が基になっています。レインにあてた手紙でワイルダーは、ネリーの家には「たくさんの本があってワクワクした、外で皆と遊ぶよりも、本棚の近くに座って 本を読んでいた」と述べています。


 「パイオニアガール」でもメアリは優しい子に描かれていて、ザリガニとヒルのいたずらを止めるようにローラに言いますが、ローラは「人形を触らせてくれなかったから、あたしはあたしのやり方で遊ぶんだ」と突っぱねています。かあさんが仲介に入って止めさせますが、とうさんは青い目をチカッとさせて、そんなローラを笑っていました。エピソードも登場人物の性格も、「プラムクリークの土手で」と骨組みは変わっていません。


「プラムクリークの土手で」のネリーは、初めてローラに会ったとき「村の子ね」とバカにしたり、人形に触ろうとしたローラに意地悪な言葉を浴びせたり、キャンディーに染まった舌をベーッと出したりしますが、「パイオニア・ガール」にはありません。町のパーティと村のパーティの話もありません。「小さな家」のネリーは、読者にアピールするよう、さらに意地悪な女の子に描かれています。
幼いワイルダーが人形に触らせてもらえなかったり、ザリガニとヒルでやり返したのは事実です。「小さな家」シリーズは、そんなワイルダーの実体験を発展させたもので、事実とフィクションが入り交じっています。
けれどもワイルダーも娘のレインも、「小さな家」はすべて本当のことだと主張していました。


それに関してヒルは興味深い指摘をしています。
「あるときワイルダーは、『私の書いたことはすべてほんとうの話ですが、it is not the whole truth』と述べています」

「it is not the whole truth」とは何を意味するのでしょうか? 
当時の状況や前後の文脈から判断して「本当にあったことを全部書いたわけではない」という意味でワイルダーは述べたと思われます。
けれども、 下書き原稿が公開されて原作との違いが明らかになった今、
「ほんとうのことをそのまま語ったわけではありません」
というワイルダーの声が二重音声になって聞こえてきます。


オーエン一家の写真はこちらから








2015年2月9日月曜日

PGH プラムクリークのクリスマス MN4

「プラムクリークの土手で」には三回クリスマスの話があります。一回目は、かあさんのクリスマスの話を聞いたローラとメアリが、とうさんに馬をお願いするクリスマス、二回目はオルデン牧師の教会で、ローラがケープとマフのプレゼントをもらったクリスマス、三回目は行方不明になったとうさんが、家に戻って来るクリスマスです。

「プラムクリークの土手で」では、インガルスはシルバーレイクに移住するまで、同じ土地で暮らしていますが、実在のインガルスはアイオワのバーオークに移住しています。「小さな家」シリーズではバーオークは割愛されているため、クリスマスの回数があいません。そこでワイルダーは、実際は一回目のオルデン牧師の教会のクリスマスを二回目にして、一回目のクリスマスの話を創り上げたとヒルは注釈で述べています。クリスマスの馬となったサムとデイビットは実在しましたが、クリスマスの馬ではありませんでした。

また、三回目のクリスマスも史実にヒントを得た創作です。下書きの「パイオニア・ガール」には吹雪に巻込まれた男性が穴をほってそのまま眠ってしまい、春になって発見された事件があります。その男性が誰なのか、どこで起きたかは触れていません。
けれども、ほかの版の「パイオニアガール」では、行方不明になった男性は近隣の住民で、インガルスの納屋の近くで発見されたとなっています。
そして「プラムクリークの土手で」では、行方不明になったのはとうさんで、インガルスの家のすぐ近くで数日間を過ごしてから、無事に家に戻って来たとなっています。

「パイオニア・ガール」では、何度も猛吹雪に襲われた、空をみて猛吹雪の前兆がわかるようになったなった、とうさんは家と納屋にロープを渡して、それにつかまりながら行き来した、ストーブのパイプから火の玉が転がりだして来てとうさんが電気だと教えてくれた、という記述があります。どこかできいたことのあるエピソードですよね。
ワイルダーはこれらのエピソードに手を加えて、「小さな家」シリーズで使っています。



2015年2月5日木曜日

PGH ハンソンさんの農場 MN

「プラムクリークの土手で」の第一章で、ハンソンさんの土地を手に入れたとうさんは、ハンソンさんの畑をみながら、「なぜ、あんなちっぽけな畑しか作らなかったのかわからないな」と話しています。「パイオニア・ガール」では、「その春には、わずかな作物しか植えられていませんでした」となっていて、ハンソンさんは登場しません。

「プラムクリークの土手で」も「パイオニア・ガール」も、第一章ではバッタの襲来を予想させるような記述はありません。けれども、その辺り一帯は、前年にバッタによる襲来がありました。ですから、ミネソタに移住したとき、インガルスはそれを知っていたはずです。

記録によると、以前、とうさんの手に入れた土地を申請した人は二人いましたが、どちらも途中で放棄していました。インガルスが移住したとき、畑にはわずかな作物しか植えられていませんでした。おそらく前の居住者が掘りおこした畑に、近隣の住民か不法にいすわっていた人が菜園をやっていたのだろう、わずかな作物しか採れなかったのは、前年のバッタの襲来のせいだろうとヒルは推測しています。

けれどもワイルダーは、「プラムクリークの土手で」にハンソンさんという創作上の人物を登場させて、とうさんに上記のセリフを言わせていました。



2015年2月4日水曜日

PGH つららと罪の意識 MN


ミネソタへの移住の途中、インガルスとピーターおじさん一家は、しばらく空き家に滞在していました。そのときのローラの体験は「プラムクリークの土手で」のある創作エピソードの基になっています。


 ある晩、寝つかれずにいたローラは、暗闇のなかでちらちら動く暖炉の火を眺めながら、とうさんのバイオリンの音色に耳をすましていると、忘れようとしていた大きな森の想い出が浮かんできました。
ある春先に、ローラは軒先のつららを壊して、落ちて来たつららを食べて遊んでいました。かあさんに「もういいかげんにしなさい」といわれたのでやめたのですが、ひとつだけ、とってもおいしそうなのがありました。つい誘惑に負けたローラは、とっさに口に入れて、何食わぬ顔で家に入りました。怪しんだかあさんは、「つららを食べているの?」と聞きましたが、ローラはゴクリと飲み込んで、「う、ううん」と答えました。人生初のウソでした。お腹に入ったつららは、ものすごく冷たかったそうです。
ウソを信じたかあさんを見て、ローラは罪の意識にさいなまれ、その日はおとなしくしていましたが、翌日になるとすっかり忘れてしまいました。

ところが、その晩、罪の意識が戻って来たのです。とうさんのバイオリンの音色も、クリークのせせらぎも、暖炉の火も、何もかも美しいのに、ローラだけが嘘つきで仲間はずれでした。のどが詰まり、胸が苦しくなって、ローラはとうとう泣き出してしまいました。急いでベッドに来てくれたかあさんに何もかも話してしまうと、ローラは気持が楽になり、神さまにお祈りをしてから眠りにつきました。

このエピソードは「プラムクリークの土手で」の、「きみょうな動物」の章を思い起こさせます。とうさんとの約束をやぶって、クリークへ行こうとしたローラが罪の意識にさいなまれ、告白するくだりです。この二つのエピソードはとてもよく似ています。

「きみょうな動物」の章のエピソードは創作です。でも、「ワイルダーの実体験や感情から引き出されたもので、それに手を加えることによって深みを与えている」とヒルは記しています。
 
ただし、ワイルダーがきみょうな動物にあったのは事実です。でも、そのときはかあさんと一緒でした。「小さな家」のかあさんだったら、見たこともない動物 に出あったら手を出さないと思いますけど、「パイオニアガール」のかあさんは、棒でつっついていました。何かイメージが違って笑っちゃいます。

2015年2月3日火曜日

PGH ミネソタへ &エラの奮闘 MN

「小さな家」シリーズでは、インガルスは彼らだけでカンザスからミネソタへ移住していますが、実際はウィスコンシンからピーターおじさん一家と共に旅立ちました。 いとこのエラたちも一緒です。
旅の途中でローラは五歳の誕生日を迎えて、とうさんは「ちいさな花」という詩集を贈ってくれました。五歳となっていますが実際は七歳で、「パイオニア・ガール」では実年齢との食い違いがしばしば見られます。回想録には日付はなく、季節の移り変わりや誕生日で時間が過ぎて行きます。

一行は空き家になっていたクリーク沿いの家でしばらく過ごしました。あやまって窓から落ちたら、クリークに落ちてしまうくらい水際に建てられた家で、ローラはいとこたちと魚をとったりして楽しい時間を過ごしました。
そんなある日、ローラは具合が悪くなり、どうしようもないくらい耳が痛くなって、我慢出来ずに泣いていました。メアリやいとこたちも同情して一緒に泣いてくれました。
そんなとき、イライザおばさんがもらしました。
「黒羊の毛を詰めると直るんだけどねえ」
耳の痛みに黒羊の毛が効くというのは、当時の民間療法でした。
すると、いとこのエラは何も言わずに一目散に走り出し、どこかへいったかと思うと、両手いっぱいの黒羊の毛を持って帰ってきたのです。皆が驚いていると、エラが言いました。

「あたし、原っぱに黒羊がいるの前に見たことあったから、探しにいったの。その羊、あたしの方を向いて、足を踏みならしてすごく怖かった。でも、ローラの耳を直したかったから向かって行って、両手で毛をわしづかみしたまま悲鳴をあげたんだ。そうしたら羊のやつ、すっとんで逃げてった」

ローラがゲラゲラ笑っている間、かあさんが耳に毛を詰めてくれると、耳の痛みはおさまったそうです。

エラのお墓はこちらから

2015年2月2日月曜日

PGH クラレンスとアンナ・バリー先生 WI

「小さな家」シリーズでは、ローラが初めて学校に行ったのはプラムクリークでしたが、実際はウィスコンシンに居たときに通っていて、「パイオニア・ガール」にはそのときの様子が描かれています。
 
ある日、ローラはメアリと一緒にお弁当をもって学校へ行きました。学校にはいとこのルイーザとチャーリーや、ヒューレット家のエヴァとクラレンスも来ていました。
エヴァとクラレンスは、「大きな森の小さな家」の「夏の日」に登場します。クラレンスは金のボタンのついた青い上下の服を着た男の子で、ローラと木登りをして遊びました。

学校は楽しかったようですが、校庭で走っている最中にローラは転んでしまい、白い服に草のしみがついて泣き出してしまいました。そんなローラにメアリは、「かあさんがなおしてくれるわよ」と声をかけています。「パイオニア・ガール」には、メアリの優しさがそれとなく描かれています。

親同士が親しかったこともあり、ローラたちはクラレンスたちとよく遊びました。ローラとクラレンスは気があったようで、母親たちは「ひょっとしたら将来二人は・・・」と噂しているのをローラは耳にしています。他の版では十代の頃、ローラはクラレンスと手紙を交わしていたという記述があります。
注釈者のヒルは、「大きな森の小さな家」でワイルダーは、親戚以外の人たちをなるべく登場させないようにしていたが、クラレンスへの好意から、ヒューレットの家族を描いたのではと推測しています。

クラレンス&エヴァ・ヒューレットの父親トーマスは、アイルランドからの移民で、母親のマリアはペンシルベニア出身でした。クラレンスはローラよりも一才年上で、エヴァはキャリーぐらいの年齢でした。ですから、エヴァが学校のシーンに登場するのは不思議な気もします。
クラレンスは西部に移住して、ハードウェアの商売にたずさわり、一九四九年にアリゾナで亡くなりました。エヴァは結婚してイリノイに移りました。


ローラとメアリの先生はアン・バリー、またはアナ・バリー(Ann, or Anna Barry)は二十三歳の独身の女性で、両親と十代の弟と一緒に暮らしていました。「パイオニアガール」にはバリー一家にまつわる興味深い話があります。
彼女の父親、バリー大尉は南北戦争から戻った時に「ニグロの男の子」を連れて来た、彼は「バリー大尉のニガー」と呼ばれていて、ローラが学校に行ったとき、彼が遠くから子どもたちを笑いながら眺めていた、と書かれています。

ワイルダーは「ニガー」といった差別語を自分自身では使わなかったが、「その当時は広く使われていた」と述べていたと注釈があります。さらにヒルは、現在では差別語だが、一八七○年代ではよく使われていたと書き添えています。二重に書き添えているのはクレームを意識しているのでしょうか?

 その黒人の男の子が誰だったのかは謎のようです。一八七○年の国勢調査によると、バリー先生の父親のジェームス・バリー(James Barry)は二人の子どものいる農夫で、テネシー出身の十四歳の雇い人がいると記録されていますが、その子は白人と記されています。
べつの記録では、ジェームス・ベリー大尉(Captain James "Berry", "Barry"ではない) は南北戦争でテネシーの周辺へ行っているので、雇い人を連れて来た可能性があるが、ジェームス・バリーとジェームス・ベリーが同一人物かどうかはわからないと注釈にはあります。

カンザスで病気になった時に見てくれたタン先生も黒人でした。バイ版の「パイオニアガール」では、それまでローラは黒人をみたことがなかったので、タン先生を見たとき怖かったという記述があります。でも、すでにワイルダーはペピンで黒人と接触があったようですね。


アナ・バリーの写真はこちらから



2015年2月1日日曜日

PGH 学校と読み書き WI

「小さな家」シリーズでは、ローラとメアリはプラムクリークではじめて学校に通い、二人はかあさんのとっておいた読本で勉強しました。ローラはその学校で読み書きを習い、ようやく読めるようになったとなっています。

でも、「パイオニアガール」では、メアリもローラもペピンで通っています。最初はメアリだけで、幼いローラは通わせてもらえませんでした。メアリが新しいお弁当箱と新しい読本をもって学校へ行ってしまうと、ローラはさみしかったようです。 キャリーは幼すぎて遊び相手にならなかったので。
でも、メアリはローラのために、いつも少しだけお弁当をとっておいてくれて、 その日に習ったことを教えてくれたので、じきにローラも読めるようになりました。
ところがある日、「ローラは食い意地がはっています」という一節をある物語で見つけたとき、ローラはすごくショックを受けました。かあさんが「これは別のローラの話よ」と説明しても立ち直れなかったそうです。

注釈者のヒルは、ペピンの学校のエピソードを「小さな家」に入れなかったのは、外界との関係を絶って、家族の絆や自給自足に近い生活を強調するためだっただろうと見ています。

「小さな家」シリーズの後半では、メアリは優しくて穏やかな女性に描かれています。お弁当を残しておいてくれたり、読み書きを教えてくれるなど、「パイオニアガール」のちょっとした記述から、そんなメアリの 片鱗がうかがえます。それにしても、立ち上がれないくらいショックを受けたなんて、ローラはかなり繊細なところもあったんですね。

2015年1月31日土曜日

PGH マーサおばさんといとこたち

「パイオニア・ガール」では、インガルスがペピンに暮らしていたとき、マーサおばさんの家に遊びに行くエピソードがあります。マーサはキャロライン・インガルスの姉で、二歳年上でした。

マーサは十四人の子どもがいましたが、「パイオニア・ガール」に登場するのはその半分です。ローラたちが家につくと、幼いいとこと双子の赤ん坊の三人だけで、あとは皆、学校に行っていました。その学校は、彼ら以外、スウェーデンの子どもたちばかりで、いとこたちはスウェーデン語も英語も出来たそうです。(ペピンの近くにストックホルムという町があるように、あの辺りはスウェーデンの移民が多かった)。

食事に戻って来たいとこたちと、お昼を食べ終えると、ローラとメアリも一緒に学校に行きました。校庭では、男の子も女の子も雪合戦をやっていて、ローラも加わります。そのときのエピソードはローラの性格をよく表わしています。

ガスという男の子がローラをつかまえて、雪でローラの顔をこすったのです。ローラは逃げようとしましたが、ガスは放してくれません。ガスはもう一度、ローラの顔を雪でこすろうとしました。ガスの指がローラの口のあたりに来たそのときです。ローラは思いっきりガスの親指を噛んだのです。 ガスは悲鳴をあげて、指をふりほどくと親指から真っ赤な血が流れ出ました。いとこのウィルは、ローラを見て,次にガスの親指をみていいました。
「ガス、これでローラのこと、かまうなってわかっただろ?」
ガスがどこの誰だかわかっていません。注釈は「ミステリー」となっています。

また、次のエピソードからは、ローラがどんな躾を受けていたのか、垣間見えます。
マーサおばさんの家のロフトでローラとメアリがいとこと遊んでいると、大騒ぎになりました。ウィルがナニーの髪の毛をひっぱったのでナニーが泣き出し、ローラがジョーの顔をひっかいたのでジョーがローラを追いかけまわし、 メアリとレッティがジョーを捕まえようとしたのです。するとマーサおばさんが、かあさんに言いました。

「上に行って子どもたち全員のおしりを叩いて来てちょうだい。そのあと私も行くから」

ウィルとジョーはお行儀が悪かった、ナニーは泣いたから、ローラはひっかいたから、メアリとレッティは騒ぎを大きくしたからと、かあさんが皆のおしりをたたくと、 静かになったのでマーサおばさんの出番はなかったそうです。

注釈者ヒルは、「読者はキャロラインの別の側面を見るだろう。「小さな家」シリーズのかあさんよりも、実在のキャロラインは躾にはかなり厳しかった」と書いています。
最近の北米では、手をあげるのはもちろん、おしりを叩くのさえ良くないとされているのでそう感じるのかもしれません。私の同僚にも、親に叩かれたことがないという人がけっこういます。
でも、昔はそれが普通で、かあさんの躾はとりたてて厳しくなかったのでは、と個人的には思います。

マーサの写真はこちらから

2015年1月30日金曜日

PGH 金髪と茶色の髪とロティおばさん

「大きな森の小さな家」では、インガルスが町に買い物にいく話があります。そのとき、ペピンの雑貨店のご主人は、メアリのきれいな金髪の髪を誉めたのに、ローラの髪は「汚い茶色」なので触れませんでした。
メアリがロティおばさんに金髪と茶色とどちらの髪が好きか訊ねたときも、茶色の髪のローラは、ロティおばさんが答えるまで、みじめな気持で待っていました。
 ロティおばさんが帰ったあと、木ぎれを集めているときに、茶色より金髪の方がきれいだといったため、メアリをひっぱたいたローラは、とうさんにおしおきされます。そして「とうさんの髪も茶色だよ」といってもらって、ようやく落ち着きを取り戻します。 ワイルダーは、「小さな家」シリーズのローラに、金髪コンプレックスを持たせています。

 でも、「パイオニア・ガール」では、メアリはロティおばさんに髪について訊ねません。木ぎれを拾っている時に髪の色のことでケンカして、とうさんにおしおきされる話はありますが、とうさんがローラを抱きながら「とうさんの髪も茶色だよ」というセリフもありません。その代わりローラを抱いたとうさんは、「とうさんと森の声のおはなし」をしてくれました。幼いとうさんが、牛を連れて帰るときに道草をくって暗い森で怖い思いをした話で、「大きな森の小さな家」では三章の「長いライフル銃」に描かれています。

ワイルダーはメアリをひっぱたいたケンカのエピソードを「小さな家」の出版前に、あるエッセイで詳細に描いています。この一件はかなりワイルダーの心を傷つけたようです。髪の色ではなく、両親がメアリの話だけきいて、自分の言い分を聞いてくれなかったことに対して。両親への不満も垣間見えるエッセイです。


インガルスの家へ遊びに来たロティおばさん、Charlotte E. Holbrook(1854-1939)は、キャロライン・インガルスの異父妹です。 キャロラインの父親は、彼女が幼いときに船の事故で死亡したため、キャロラインの母親は五年後に再婚しました。ロティは彼らの唯一の子どもでした。インガルスの家を訪問したときロティは十二歳でした。きっとローラやメアリに会いに来たのでしょう。ロティおばさんは、かあさんと近い年齢だと思っていたので、実年齢を知ったとき意外でした。






2015年1月29日木曜日

PGH ドーシアおばさんとルビイおばさん

「大きな森の小さな家」のじいちゃんのダンスパーティーでは、ドーシアおばさんとルビイおばさんが、パーティのために髪を結ったり、コルセットを締め上げる話があります。
そのルビイおばさんはチャールズ・インガルスの妹で、一八三八年に生まれ、結婚してまもなく二十五歳の若さでなくなりました。

ドーシアおばさんは一八六◯年代半ばに結婚して、レナとオーガスト・ユージン(出版作品ではジーンと呼ばれている)の二人の子どもをもうけました。けれども、息子が生まれてまもなくドーシアの夫は、彼らの家に入ろうとした人を射殺したため刑務所におくられました。そのためドーシアは離婚して実家に戻りました。(たしか、その後、再婚したと思いました)。

ジョージおじさんが南北戦争によって人が変わってしまい、雌牛を盗んで逮捕されたエピソードは、「パイオニア・ガール」のある版に含まれています。でも、ドーシアの離婚の話は、「小さな家」シリーズにも「パイオニア・ガール」にもありません。注釈者のヒルは、ワイルダーにとって、ドーシアの生き方は口に出すのがはばかられたのだろうと推測しています。
そして、「シルバーレイクの岸辺で」で、かあさんが「レナはいい子だけど気性が激しくて無鉄砲なのに、ドーシアは直してやらない」と述べているのを指摘して、ワイルダーがどのようにドーシアおばさんを見ていたのかヒントがあるとしています。

ドーシアおばさんの写真はこちらから




2015年1月28日水曜日

PGH ジョージおじさん

「大きな森の小さな家」のじいちゃんの家のダンスパーティーにはジョージおじさんが登場します。とうさんはジョージおじさんを「すっかりあら男になっちまったよ。戦争から帰って来てからな」と言っていました。でも、ローラはジョージおじさんがダンスの相手をしてくれたとき、気に入ってきました。ジョージおじさんは好意的に描かれていますが、「パイオニア・ガール」では、「嫌いだった」とはっきり述べています。

「大きな森の小さな家」では、おじさんは十四歳のときに鼓手になりたくて家出をしたとなっています。でも、史実と照らし合わせると、一八五一年七月生まれのジョージ・W・インガルスは、南北戦争の終結時、まだ十三歳でした。
軍隊でのジョージの足どりを正確につかむのは不可能ですが、十一歳になる直前の一八六二年七月にウィスコンシンの歩兵隊に志願していて、三ヶ月後の十月に脱走しています。歩兵隊に記録されているジョージのミドルネームや出身地は、ほんとうのものではなく、偽ったのかもしれません。
もしも十月に脱走したとしたら、彼はミズーリやアーカンソー周辺にいた可能性があり、戦争が終結するまで南軍の脱走兵と一緒に、家畜や小麦を盗んでいたとも考えられます。
下書きの「パイオニア・ガール」では、ジョージについてほとんど触れていませんが、ブランディット改訂版とバイ版では、戦争によってジョージは人が変わってしまい、雌牛を盗んで逮捕された、戦争が終わったのにわかっていない、という記述があります。

ジョージおじさんはジュリア・バードと結婚して、一九〇一年、四十九歳でウィスコンシンで亡くなりました。

荒くれだったようですが、なかなかのイケメンでした。写真はこちらから




2015年1月26日月曜日

PGH「パイオニアガール」の版

回想録「パイオニア・ガール」にはさまざまな版があるが、今回出版されたのはワイルダーによる手書きの下書き原稿である。はぎとり用紙六冊に鉛筆で書かれたもので、レインの手が加えられていないこともあり、これがいちばん事実に近いとされている。一人称で書かれ、大人の読者を対象に執筆されたノンフィクションだ。
ワイルダーは一九三十年五月にこれを書き上げてレインに渡した。添削してからタイプライターで打ち、出版社に送るよう期待していたと思われる。

「パイオニア・ガール」は何度も書き直されたので、いくつもの版がある。年代順に並べると、下書き原稿→ブランディット版→ブランディット改訂版→児童向け版→バイ版があり、下書き原稿以外はいずれもレインによる手が加えられている。ブランディット版とバイ版というのは、レインのエージェントだったカール・ブランディットとジョージ・バイの名前からつけられた。

児童向け版は、レインがブランディット版からウィスコンシンの話の部分のみを抜き出したものだ。児童向け版はレインがワイルダーに断りなく着手したもので、当初、ワイルダーはこの原稿の存在を知らされていなかった。レインは大人向けの「パイオニア・ガール」と、児童向けの「パイオニア・ガール」の原稿を準備していて、二本とも売り込もうと計画していたらしい。

「パイオニア・ガール」の下書き原稿は一人称で書かれた大人向けのノンフィクションだが、児童向け版は老婦人の視点で語られたフィクションである。この版は「おばあちゃんが小さな女の子だったころ」(When Grandma Was a Little Girl)というタイトルで知られている。一人称のノンフィクションから老婦人の語るフィクションへと変えたのは、レインだった。ワイルダーはこの児童向け版を発展させて「大きな森の小さな家」を完成させた。

大人向けの「パイオニア・ガール」も出版社を見つけられなかったが、「小さな家」シリーズの基になった。ワイルダーはさまざまなエピソードを発展させたり削除して「小さな家」シリーズを完成させた。レインのベストセラー「大草原物語」と「自由の大地」も、「パイオニア・ガール」をヒントに創作された。

今回出版された注釈付きの「パイオニア・ガール」は、下書き原稿に 注釈を加えたもの。その注釈では上記の各版との違いも扱っている。

このブログには、タイトルがPGまたはPGHで始まるページがある。PGはバイ版の「パイオニア・ガール」を扱っていて、注釈付き「パイオニア・ガール」が刊行される以前に、私がアーカイブから原稿を取り寄せて紹介したものだ。PGHで始まるページは、今回刊行された下書き原稿の「パイオニア・ガール」を扱っている。

なお二◯十五年以降、このブログのページで「パイオニア・ガール」と言う場合、下書き原稿を指す。他の版の「パイオニア・ガール」を指す場合はどの版か記すことにする。







2015年1月25日日曜日

PGH 注釈付き「パイオニア・ガール」の出版

去年の秋、ようやく注釈付きの「パイオニア・ガール」がアメリカで出版されました。「パイオニア・ガール」は以前からアメリカのファンの間で知られていて、アーカイブから取り寄せて読んでいる人たちも多く、さまざまな研究者が引用しています。このブログで以前に紹介した「パイオニア・ガール」も、アーカイブから取り寄せたものを使っています(PGと記されているページ)。
でも、今までファンが読んでいたのは、レインが添削した「パイオニア・ガール」です。今回出版されたのはワイルダーが執筆した下書き原稿で、レインの手は入っていません。

出版されたばかりの「パイオニア・ガール」が届いたとき、箱をあけてびっくりしました。アルバムくらいの大型本で、ズッシリするほど重く片手では持てません。さらにびっくりしたのは、注釈付きの読み物だと思っていたら、かなり詳細な研究書で、注釈が本文の何倍もあるのです。カンザスの話は全部で二十二ページありますが、そのうちの十八ページは注釈で、本文よりも小さな字でびっしり書いてあります。注釈を担当したパメラ・スミス・ヒルはこの本を「ワイルダー百科事典のようなもの」と言っていましたが、まさにそのとおりです。
熱心なファンの多いアメリカでは大好評で、たくさんのレビューを目にします。注文が多すぎて印刷がおいつかず、多くの人たちが心待ちにしているという記事が繰り返し報道されています。そんな記事を読むたびに、アメリカ人にとっての「小さな家」の重みを改めて感じます。

先日、日本の大学の先生が、「クラスで大草原の小さな家の話をしたら、三分の二の学生が知らなかった」とツイッターでつぶやいていました。「大草原の小さな家を知ってるといったら昭和だねといわれた」というツイッターもありました。このようなつぶやきをよく目にします。
 そんな日本で、「パイオニア・ガール」の邦訳が出るのかどうか気になるところですが、数少ないワイルダーファンのために、このブログでかいつまんでご紹介します。(ただし、いつまで続くかわかりません・・・・!)

「パイオニア・ガール」はカンザスの話から始まってローラの結婚で終りになります。ほんとうだったら「パイオニア・ガール」の順番どおり、カンザスの部分からブログに載せるべきですが、いろんな事情から、ウィスコンシンの話の途中からアップすることにします。順番も前後することがありまので、ご了承ください。