「小さな家」シリーズでは、ローラが初めて学校に行ったのはプラムクリークでしたが、実際はウィスコンシンに居たときに通っていて、「パイオニア・ガール」にはそのときの様子が描かれています。
ある日、ローラはメアリと一緒にお弁当をもって学校へ行きました。学校にはいとこのルイーザとチャーリーや、ヒューレット家のエヴァとクラレンスも来ていました。
エヴァとクラレンスは、「大きな森の小さな家」の「夏の日」に登場します。クラレンスは金のボタンのついた青い上下の服を着た男の子で、ローラと木登りをして遊びました。
学校は楽しかったようですが、校庭で走っている最中にローラは転んでしまい、白い服に草のしみがついて泣き出してしまいました。そんなローラにメアリは、「かあさんがなおしてくれるわよ」と声をかけています。「パイオニア・ガール」には、メアリの優しさがそれとなく描かれています。
親同士が親しかったこともあり、ローラたちはクラレンスたちとよく遊びました。ローラとクラレンスは気があったようで、母親たちは「ひょっとしたら将来二人は・・・」と噂しているのをローラは耳にしています。他の版では十代の頃、ローラはクラレンスと手紙を交わしていたという記述があります。
注釈者のヒルは、「大きな森の小さな家」でワイルダーは、親戚以外の人たちをなるべく登場させないようにしていたが、クラレンスへの好意から、ヒューレットの家族を描いたのではと推測しています。
クラレンス&エヴァ・ヒューレットの父親トーマスは、アイルランドからの移民で、母親のマリアはペンシルベニア出身でした。クラレンスはローラよりも一才年上で、エヴァはキャリーぐらいの年齢でした。ですから、エヴァが学校のシーンに登場するのは不思議な気もします。
クラレンスは西部に移住して、ハードウェアの商売にたずさわり、一九四九年にアリゾナで亡くなりました。エヴァは結婚してイリノイに移りました。
ローラとメアリの先生はアン・バリー、またはアナ・バリー(Ann, or Anna Barry)は二十三歳の独身の女性で、両親と十代の弟と一緒に暮らしていました。「パイオニアガール」にはバリー一家にまつわる興味深い話があります。
彼女の父親、バリー大尉は南北戦争から戻った時に「ニグロの男の子」を連れて来た、彼は「バリー大尉のニガー」と呼ばれていて、ローラが学校に行ったとき、彼が遠くから子どもたちを笑いながら眺めていた、と書かれています。
ワイルダーは「ニガー」といった差別語を自分自身では使わなかったが、「その当時は広く使われていた」と述べていたと注釈があります。さらにヒルは、現在では差別語だが、一八七○年代ではよく使われていたと書き添えています。二重に書き添えているのはクレームを意識しているのでしょうか?
その黒人の男の子が誰だったのかは謎のようです。一八七○年の国勢調査によると、バリー先生の父親のジェームス・バリー(James Barry)は二人の子どものいる農夫で、テネシー出身の十四歳の雇い人がいると記録されていますが、その子は白人と記されています。
べつの記録では、ジェームス・ベリー大尉(Captain James "Berry", "Barry"ではない) は南北戦争でテネシーの周辺へ行っているので、雇い人を連れて来た可能性があるが、ジェームス・バリーとジェームス・ベリーが同一人物かどうかはわからないと注釈にはあります。
カンザスで病気になった時に見てくれたタン先生も黒人でした。バイ版の「パイオニアガール」では、それまでローラは黒人をみたことがなかったので、タン先生を見たとき怖かったという記述があります。でも、すでにワイルダーはペピンで黒人と接触があったようですね。
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