ローラの宿敵だったネリー・オルソンは、「プラムクリークの土手で」でも、テレビドラマでも、下書き原稿の「パイオニア・ガール」でも、似たような性格に描かれています。
「パイオニア・ガール」では、ネリーの名前はオルソンではなく、オーエンズとなっています。ネリーはワイルダーが創りだした創作上の人物で、三人の女性がモデルになっていて、ネリー・オーエンズはその一人です。
ネリーの父親ジェームス・オーエンズはニューヨークで生まれ、母親のマーガレットはカナダの生まれで、二人は雑貨店を営んでいました。ドラマではネルスとハリエットになっていますが、原作にはファーストネームが書かれていないので、ドラマのスタッフがつけたものでしょう。
ネリー・オーエンズは一八六八年か六九年にミネソタで生まれました(国勢調査は六八年、墓石は六九年となっている)。ですから、ローラより二〜三歳下です。弟のウィリアムスはネリーの一歳下で、幼い頃の花火の事故で片方の目を失明しています。
一
家がいつミネソタを去ったのかわかりませんが、一九◯◯年までにオーエン一家はオレゴンに移住して農場を営み、ネリーはヘンリー・フランク・カリーと結婚、三人の子どもをもうけて、一九四九年に亡くなりました。ウィリアムズもオレゴンで結婚して、三人の子どもをもうけ、一九三四年にオレゴンのポートラン
ドで亡くなりました。二人が「小さな家」を読んでいたのか、登場人物のモデルになっていると気づいていたか、残念ながら手がかりはありません。
「パイオニア・ガール」のミネソタの部分にネリーは登場します。話の大筋は「プラムクリークの土手で」と似たようなもので、学校帰りにローラとメアリーは、時々ネリーの家によって遊んだ、ネリーと弟のウィリーは素晴らしいおもちゃや絵本を持っていた、素敵な人形に触らせてもらえなかった、キャンディーを分けてくれなかった、ローラはネリーたちをわざとザリガニとヒルのところへ連れて行った、わざとやっているのに気づかないので、遊びに来るたびに同じ目にあった等々。「プラムクリークの土手で」ではオルソン夫人はきちんとした女性に描かれていますが、「パイオニア・ガール」では夫人への批判めいたひと言がみられます。
「プラムクリークの土手で」の町のパーティーで、ひとりぼっちのローラがマザーグースの本に魅せられる話があります。これもワイルダーの実体験が基になっています。レインにあてた手紙でワイルダーは、ネリーの家には「たくさんの本があってワクワクした、外で皆と遊ぶよりも、本棚の近くに座って
本を読んでいた」と述べています。
「パイオニアガール」でもメアリは優しい子に描かれていて、ザリガニとヒルのいたずらを止めるようにローラに言いますが、ローラは「人形を触らせてくれなかったから、あたしはあたしのやり方で遊ぶんだ」と突っぱねています。かあさんが仲介に入って止めさせますが、とうさんは青い目をチカッとさせて、そんなローラを笑っていました。エピソードも登場人物の性格も、「プラムクリークの土手で」と骨組みは変わっていません。
「プラムクリークの土手で」のネリーは、初めてローラに会ったとき「村の子ね」とバカにしたり、人形に触ろうとしたローラに意地悪な言葉を浴びせたり、キャンディーに染まった舌をベーッと出したりしますが、「パイオニア・ガール」にはありません。町のパーティと村のパーティの話もありません。「小さな家」のネリーは、読者にアピールするよう、さらに意地悪な女の子に描かれています。
幼いワイルダーが人形に触らせてもらえなかったり、ザリガニとヒルでやり返したのは事実です。「小さな家」シリーズは、そんなワイルダーの実体験を発展させたもので、事実とフィクションが入り交じっています。
けれどもワイルダーも娘のレインも、「小さな家」はすべて本当のことだと主張していました。
それに関してヒルは興味深い指摘をしています。
「あるときワイルダーは、『私の書いたことはすべてほんとうの話ですが、it is not the whole truth』と述べています」
「it is not the whole truth」とは何を意味するのでしょうか?
当時の状況や前後の文脈から判断して「本当にあったことを全部書いたわけではない」という意味でワイルダーは述べたと思われます。
けれども、 下書き原稿が公開されて原作との違いが明らかになった今、
「ほんとうのことをそのまま語ったわけではありません」
というワイルダーの声が二重音声になって聞こえてきます。
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