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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2015年2月13日金曜日

PGH クリスマスのケープと教会の鐘 MN6

「プラムクリークの土手で」で迎えたクリスマスで、ローラが毛皮のケープ(cape)とマフをもらう話があります。ローラのケープはネリー・オルソンのよりきれいで、ネリーはマフをもっていなかったので、ちょっぴり胸がスッーとしたというくだりです。
「パイオニア・ガール」でローラがもらったのは、肩かけ(collar or tippet)でした。言葉にならないくらい嬉しかった、ローラはかあさんに促されてオルデン牧師にお礼を言ったと書かれています。ライバルのネリーは登場しません。

インガルスが通っていたのは組合教会で、チャールズ&キャロライン・インガルスを含む十四人のメンバーによって設立されました。その記念式典が一八七四年十二月二十日に開かれ、設立に協力した東部の教会の人々も多数出席しています。そのときにクリスマスツリーやプレゼントが飾られていたようです。ワイルダーが「プラムクリークの土手で」で描いたのは、そのクリスマスかもしれません。ただその頃、ウォルナットグローブでは毎年クリスマスツリーを飾っていたので、別のクリスマスかもしれないと、注釈がついています。

「プラムクリークの土手で」では、とうさんが教会の鐘のためにブーツの代金三ドルを寄付した話があります。「パイオニア・ガール」でも同じ話がありますが、金額は書かれていません。
ゾカートの伝記では「とうさんが寄付したのは二十六ドル五十セントだった」となっています。教会にはその記録が残されていますが、当時としてはかなり高額なため、「チャールズ・インガルスは管財人だったので、他の教会員の会員費も一緒に納めたのだろう。彼一人の献金ではないと思う」とヒルは述べています。