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PGH キャップ&フローレンス・ガーランド DK12

ローラの学校の先生だったフローレンス・ガーランドは、1880年当時、18歳で、デ・スメットの公立学校の最初の教師でした。その学校は資材も労働も、町の人々のボランティアによってたてられたもので、先生の給料はひと月に20ドルでした。 フローレンスは1887年に材木商だったチャールズ...

2015年4月20日月曜日

PGH ボースト夫妻とオグデンさん  DK5

「シルバーレイクの岸辺で」では、冬が近づいて人々が飯場から引き上げてしまうと、インガルスとボーストさん以外、シルバーレイク周辺には人がいないかのように描かれています。でも、測量技師の家で暮らしていたとき、実在のインガルスは、同居人をおいていました。ウォルター・オグデンという二十五歳の青年で、東部に住む人に依頼されて雄牛の世話をしていて、一人で冬を越すつもりでした。でも、一人きりになりたくないので、インガルスに下宿させてほしいと頼んだのです。


「シルバーレイクの岸辺で」には、ボーストさん夫妻と楽しい冬を過ごした様子が描かれています。実在のボーストさんの奥さん、エラ・ペック・ボーストは、イリノイの生まれで、家族と共にアイオワに引っ越して、一八七○年にロバート・ボーストと結婚。ダコタ・テリトリーに移住したときは、二十八歳でした。若い頃からリューマチをわずらい、のちに車椅子の生活となり、一九一八年に六十七歳で逝去しました。子どもがいませんでしたが子ども好きで、しばしば、自宅で子どもパーティーを開いていました。「パイオニアガール」には自宅で子どもたちに囲まれている写真もあります。以前、この写真はデ・スメットのワイルダー記念館でも展示されていました。


「はじめの四年間」で、ボーストさんがローズを養女にしたいと持ちかけたと時、ローラとアルマンゾは断ります。それ以降、ボーストさんとの関係がぎくしゃ くしたのでは、と思いますが、「小さな家」にボーストさん夫妻と過ごした楽しい話がたくさん登場するので,ワイルダーが好意を抱 いていたとうかがえます。二人の想い出は実の子どもに受け継がれることはありませんでしたが、「小さな家」のおかげで、二人は今でも読者の心に息づいています。


 ロバート・ボーストはカナダの生まれで、一八七九年後半は三十歳ぐらいでした。夫妻はデ・スメットから一マイル東に開拓農地を所有していて、一八九八年に町に家を建てるまでそこで暮らしました。「この楽しき日々」には、ローラとアルマンゾが馬車のドライブの途中でボーストさんの家に寄って楽しい時を過ごす話も描かれています。ロバートはガーデニング好きで知られていて、デ・スメット公園の草木の手入れもしていました。「小さな家」に描かれているとおり、二人は生涯、インガルスと親交がありました。ロバートはエラが逝った三年後の一九二一年に他界しました。二人のお墓はデ・スメットにあります。

エラの墓
ロバートの墓