「シルバーレイクの岸辺で」でも「パイオニアガール」でも、ローラとメアリを「私の村娘たち」と呼んでかわいがってくれたオルデン牧師は、ある雪の日、ダコタ・テリトリーでインガルスと偶然、再会します。
エドウィン・オルデンは、1836年にバーモントに生まれ、ダートマス大学卒業後、メイン州の神学校へ進みました。アメリカ伝道協会に任命されて、1860年にはニューオリンズで、奴隷から解放された人々のための学校で働き、南北戦争後はバーモントへ戻って牧師になりました。その後、アメリカンホーム伝道協会から教会を創設するためにミネソタへ派遣され、1870年までにウォルナットグローブから百マイルほど離れたワセカに、妻のアナと三才の息子ジョージと暮らしていました。「プラムクリークの土手で」に描かれているように、オルデン牧師はウォルナットグローブやスリーピイアイなどの各地を廻って、礼拝を行っていました。
「パイオニアガール」によると、そのオルデン牧師がデ・スメットに教会を創設するためにやってくると、権限のないブラウン牧師が創設に取りかかっていたため、スキャンダルを避けるために、すべてをブラウン牧師にまかせて、デ・スメットをあとにしました。
1885年の調査では、エドウィン・オルデンはデ・スメットから七十マイルほど北西にある町で、16歳の学生と共に暮らしていました。妻も子どももリストには記載されていません。けれども、1900年までにバーモントに戻って聖職につき、再婚しています。それから十年後に妻と娘と三人で、バーモント州のチェスターに移り、その一年後に七五歳で他界しました。